北九州戦略
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旧・西日本銀行と旧・福岡シティ銀行は、北九州市や遠賀・京築地方でもある程度の店舗展開をしていたこともあり、合併後、北九州市における最大規模の金融機関となった(合併時に、旧・西日本銀行側の北九州支店を営業部に昇格させている)。しかし、北九州市の指定金融機関は、ライバル行で福岡県最大手の福岡銀行と、八幡製鐵(現・日本製鉄八幡製鐵所)との結びつきの深かった旧・富士銀行の流れをくむみずほ銀行による2行輪番という構図がそのままとなっていた。 西日本シティ銀行は2010年(平成22年)5月14日、北九州における営業強化のため「北九州地区本部」を取締役常務執行役員を長とする「北九州総本部」に改組し、2年前に取締役副頭取(代表取締役)に「北九州・山口代表」の肩書を与えたのに続いて、北九州重視の営業強化策を打ち出した。 加えて、下関支店(山口県下関市)を「重要な拠点」と位置づけ、機能面・設備面の充実を目的として、2013年(平成25年)1月のオープンを目標に店舗の建替を行うと発表した。これについて、西日本シティ銀行の久保田頭取(当時)は発表の席で「建替を急ぐ時期ではないが、いろんな状況を踏まえて判断した。大きな銀行のサービスはいかなるものかを示したい」と語るとともに、北九州市への指定金融機関昇格について「同市への働きかけを強化する」と述べた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}これらは、下関市に拠点を置く山口フィナンシャルグループ(YMFG)が山口銀行の九州内店舗を分離して、北九州市に本店を置く北九州銀行を2011年(平成23年)10月3日に新設・開業させたことに対抗するものであることを暗に示唆している。[要出典] 以上のような経緯を経つつ、2015年(平成27年)4月1日から2019年(平成31年)3月31日までの市の指定金融機関における4行輪番制の1行に指定された。 2017年(平成29年)、重複していた北九州地区の拠点整理を兼ねた2件の建て替え事業が完了。室町支店(旧・西日本銀行小倉支店)は「幹部候補生」として期待される若手行員の独身寮を上層階に併設。北九州総本部は旧:西日本銀行北九州営業部から(旧・福岡シティ銀行)小倉支店跡に新築移転した。
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北九州戦略
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福岡市に本店を置く福岡銀行は、福岡都市圏を主体とした経営となっていたこともあり、北九州地域では西日本シティ銀行が最大のシェアをもち、また山口フィナンシャルグループの影響も強まっていた。 山口フィナンシャルグループが「北九州銀行」の設立構想を発表すると、その対抗策としての北九州地域への役員常駐、北九州本部・営業部ビルの建て替え、および山口銀行の拠点の一つである山口県宇部市への宇部支店開設を急遽表明した。宇部支店は、2010年(平成22年)12月6日に同じふくおかフィナンシャルグループである親和銀行宇部支店(2008年(平成20年)9月22日に小倉支店に統合)の建物を利用し開設した。なお、同支店が最初に開設されたのは1953年(昭和28年)9月であり、1998年(平成10年)2月に下関支店に統合する形で1度閉鎖されている。このため、宇部市にはふくおかフィナンシャルグループとして2年ぶり、福岡銀行としては12年ぶりの再進出となった。 福岡銀行は西日本シティと異なり北九州地区への地域還元も積極的に行っており、2012年は北九州銀行が主要スポンサーとなったギラヴァンツ北九州に対し、小・中・高校生のホームゲームB・C席入場料を肩代わりする“夢チケット”のスポンサーとなって支援した。
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