創業-第二次世界大戦 (Carl Zeiss)
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「イエナオプティック」の記事における「創業-第二次世界大戦 (Carl Zeiss)」の解説
1846年 - 創業者、カール・ツァイスがイェーナでレンズ工房を開設。メガネ、化学計測器、製図用具、望遠鏡、顕微鏡と事業の幅を広げる。 1866年 - 物理学者のエルンスト・アッベが事業に加わる。 1884年 - ガラス職人のオットー・ショットとアッベ、ツァイスによりJenaer Glaswerks Schott & Genossen (現在のショット) を設立。 1888年 - カール・ツァイス死去 1889年 - アッベがツァイスの会社組織を財団化する。 1900年 - アッベがカール・ツァイスの会社組織に老齢年金と全従業員の8時間労働制を導入する。 1902年-1903年 - ツァイスにてリヒャルト・ジグモンディとヘンリー・ジーデントップ(英語版)による限外顕微鏡を発表。ジグモンディはその後1925年にノーベル化学賞を受賞する。 1903年 - サッカーチーム Carl Zeiss Jena を設立(2021-2022シーズンはレギオナルリーガ(4部相当)に所属)。 1904年 - ツァイスにてアウグスト・ケーラー(英語版)が紫外線顕微鏡を発表。 1914年-1945年 - 第一次、第二次世界大戦では、ドイツ軍向けに多数の光学部品を提供。ライフルスコープ、Uボート向け潜望鏡、双眼鏡、(砲撃前に距離を正確に測定する)測距儀等で重宝される。双眼鏡に関しては、第二次世界大戦末までに軍用、民生用合わせて 226万台製造する。 1921年 - 日本光学工業(現:ニコン)が8名のツァイス設計者を招聘。1932年の Nikkorブランドの発表につなげる。 1923年 - ツァイスにてヴァルター・バウアースフェルト(英語版)が世界初のプラネタリウムを設計、製造。ミュンヘンのドイツ博物館に設置する。また、フリッツ・ゼルニケも位相差顕微鏡の原型を開発。ゼルニケはその後1953年にノーベル物理学賞を受賞する。 1945年4月1日 – アメリカ軍がテューリンゲン州に侵攻。 4月11日 - イエナから約30kmのブーヘンヴァルト強制収容所が解放、ここでも囚人によるツァイスの双眼鏡の製造が行われていた。 4月13日 - アメリカ軍がイエナに入る、カール・ツァイスの工場も占拠される。 5月9日 - ドイツ降伏 6月 - 2月のヤルタ協定によりアメリカ軍は6月末のテューリンゲン州からの撤退を求められる。アメリカ軍はカール・ツァイスおよびショットの研究者・技術者のアメリカ占領区域への移送を決断。ソビエト軍がイエナに入る前に126人の従業員が、直線距離で260km 離れた西ドイツ・オーバーコッヘンへ強制連行される。前述のヴァルター・バウアースフェルト(英語版)と彼の家族も含まれる。 7月 - ソビエト軍がイエナに入る。
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