創業社長・小林茂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:01 UTC 版)
小林茂は、東京・小石川に7人兄弟の次男として生まれた。 生家は江戸時代までさかのぼる家具職人の家系で、父は三越などに高級家具を納入する家具工場を経営していた。小学校を卒業と同時に、父の家具工場で働き、仕事を終えると、東京府立実科工業(現在の東京都立墨田工業高等学校)の夜間部に通い建築を学んだ。1945年(昭和20年)3月、応召され、千葉県津田沼にあった陸軍鉄道第二連隊に入営。ここで、終生の友となる清水信次と出会う。初年兵時代、あまりの空腹に耐え切れず、近くの畑で大根やニンジンをかじった仲だという。 敗戦で復員し、父とともに家具工場を再開するが、結核を患い、3年間の療養生活を余儀なくされる。シベリアに抑留されていた長兄が戻ってきたため、家業を兄に任せて喫茶店を開業し、朝鮮戦争の勃発した1950年(昭和25年)には海運会社を興す。特需景気で潤い、その儲けで株を買ったり、銀座のマンモス・バーに資金を注ぎ込んだりした。だが53年の朝鮮戦争の停戦で、奈落に突き落とされ、投資していた株はスターリン暴落で5000万円の損をこうむり、海運会社は倒産、負債だけが残った。 1955年(昭和30年)の神武景気を機に設備投資が旺盛となると、地価も急騰した。小林は所有していた下町の土地を工場用地として高額で売り払い、海運会社の倒産で残っていた負債をゼロにし、おまけに事業資金まで得ることができた。このとき、不動産は儲かると土地に目覚めるのである。
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