初期の吸入麻酔薬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 05:57 UTC 版)
19世紀における有効な麻酔薬の開発は、ジョゼフ・リスターによる消毒の技術とともに、手術の成功の鍵の一つとなった。ヘンリー・ヒックマンは1820年代に二酸化炭素を用いた実験を行った。ジョセフ・プリーストリーによって分離された亜酸化窒素(笑気ガス)の麻酔作用は1795年にトマス・ベドーズの助手である、イギリスの化学者ハンフリー・デービーにより証明され、1800年に論文として発表された。しかし、初期には亜酸化窒素の医学的な用途は限られており、その主な役割は娯楽であった。1844年12月、アメリカ合衆国の歯科医師であるホーレス・ウェルズは抜歯を無痛で行うために亜酸化窒素を使用した。翌1845年、彼はマサチューセッツ総合病院で公開デモを行ったが、失敗を犯し、患者に大きな痛みを感じさせた。この失敗のために彼はすべての支援を失った。 歯科医師であるウィリアム・クラーク[要曖昧さ回避]は1842年1月、1540年に発見されていた硫酸エーテル(ジエチルエーテル)の抽出を行った。同年3月、ジョージア州のDanielsvilleにおいてクロフォード・ロングが最初に麻酔を手術で用いた。少年の首にある嚢胞をとる手術であった。しかし、彼は後になるまでこの情報を発表しなかった。 1846年10月16日、歯科医師であるウィリアム・T・G・モートンはマサチューセッツ総合病院に招待され、硫酸エーテルを麻酔として用いた最初の公開手術を行った。首から腫瘍を切除する手術であった。 モートンがLetheonと名づけ、アメリカ合衆国での特許をとった化合物を彼は秘密にしようと努力したが、それにもかかわらず、1846年末までにはこの発見と化合物の性質に関するニュースはヨーロッパに広まった。ロバート・リストン、エルンスト・ディーフェンバッハ、ニコライ・ピロゴフ、ジェームズ・サイムなどの評価の高い外科医たちはジエチルエーテルを用いた手術を試みるようになった。 クロロホルムもジエチルエーテルと並んで急速に発達した。クロロホルムはジエチルエーテルと異なり手術室では常温で引火せず、また、麻酔導入にはジエチルエーテルより扱いやすいと考えられていた。クロロホルムは1831年に発見され、有機化合物に関する幅広い研究の中で、1847年にクロロホルムの有効性が発見され、ジェームズ・シンプソンが無痛分娩に成功した。クロロホルムの使用は広がり、1853年、ジョン・スノーがレオポルド王子出生時にヴィクトリア女王にそれを与えた時に国王の認可を受けた。しかし、クロロホルム麻酔は重篤な心毒性、不整脈を引き起こし、死者が相次いだため、まったく用いられなくなった。 その後、導入麻酔薬と維持麻酔薬は別の麻酔薬を使用する麻酔法が主流となり、ジエチルエーテルは維持麻酔薬として最も優れているとされた。しかし手術室の電子化にともない、ジエチルエーテルの引火性が問題となり、先進国では使用されなくなった。ただ今でもその優れた特性から、発展途上国では維持麻酔薬として頻用されている。
※この「初期の吸入麻酔薬」の解説は、「麻酔」の解説の一部です。
「初期の吸入麻酔薬」を含む「麻酔」の記事については、「麻酔」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から初期の吸入麻酔薬を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から初期の吸入麻酔薬を検索
- 初期の吸入麻酔薬のページへのリンク