初期の哨戒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 05:41 UTC 版)
「U81 (潜水艦・2代)」の記事における「初期の哨戒」の解説
「U81」が最初に戦果をあげたのは、第2次哨戒のときでトロンハイムから北海を経て北大西洋でのことで、フランスのブレストへ配属になる前のことだった。この哨戒中にSC42船団と遭遇し、9月9日にイギリス船「エンパイア・スプリングバック」を、続いて9月10日には同じく「サリー・マークス」を沈め2隻合わせて8,843トンとなった。この後、「U81」は地中海派遣を命じられた艦の1隻となった。地中海へ向かう最初の試みは10月30日にイギリス空軍第209飛行隊所属のPBY カタリナ飛行艇の攻撃を受け、大きな損傷を負うという災難に見舞われ、ジブラルタル海峡を通過することができなかった。このカタリナは第53飛行隊所属のロッキード・ハドソンと協同して「U81」に対し爆雷を投下した。これにより「U81」は大きな損傷を受け、ブレストへ戻ることを余儀なくされた。ブレストで再度地中海へ侵入するために必要な修理を行なった。
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