再度公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地とは? わかりやすく解説

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再度公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地

名称: 再度公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地
ふりがな ふたたびこうえん・ふたたびさんえいきゅうしょくせいほぞんち・こうべがいこくじんぼち
種別 名勝
種別2:
都道府県 兵庫県
市区町村 神戸市北区山田町
管理団体
指定年月日 2007.02.06(平成19.02.06)
指定基準 名1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 再度公園は、昭和12年(1937)に開設され森林人造池を中心とする都市公園である。東西長く延び狭隘土地発達した港町神戸にとって、背後に迫る六甲山地豊かな木材供給資源であるとともに都市生活上の休養行楽機能を持つ重要な自然環境地域でもあった。
幕末開港以来市街地拡大伴って建築資材及び薪炭材需要高まり六甲山樹木乱伐によって次第荒廃していった。そのため、明治35年(1902)から再度山を含む約600haの山域において、石垣造成により山腹工施され風致木を含め20種類にも及ぶ多様な樹種により緑化事業開始された。これは、六甲山域における最初植生再生事業であったその後都市生活における衛生環境改善のために上水道確保し大量降雨の際に土砂災害防止することが必要となったため、貯水池として修法ヶ原の池が整備され現在の再度公園の祖形が形成された。
再度公園は、居留外国人のみならず広く神戸市民にとって、市街地ほど近い豊かな自然環境の下に、登山・ハイキング・クロスカントリーなどを楽しめる森林公園として長く親しまれてきた。また、再度山中心とする植林地は、六甲山域において最初緑化事業が行われた記念的な意義を持つことから、神戸市が「永久植生保存地」として適切な管理努めてきた。
公園の北半部を占め外国人墓地は、徳川幕府により外国人居留地隣接地開設され小野外人墓地明治時代後期飽和状態となり、続いて開設され春日野外人墓地狭隘となったことから、昭和12年(1937)より新たに外国人のための公園墓地として造成開始されたものである第二次世界大戦激化した昭和16年1941)から戦後の混乱期にかけて造成工事中断されたが、昭和26年再開され翌年完成した小野浜及び春日野の両外人墓地からの移転統合完了したのは昭和36年1961であったが、移転当たっては、両外人墓地地区別に配置しそれぞれに存在した墓碑慰霊碑のみならず、門・柵・車止めに至るまで移転前の形姿損なことなく移設された。
上のように、再度公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地は、保健休養の場である都市公園としてのみならず、六甲山域における最初植生再生地や居留外国人墓園としても公園史上価値高く、その風致富んだ優秀な景趣及び設計思想には高い芸術上又は観賞上の価値認められる再度公園及び再度山永久植生保存地区域をはじめ、外国人墓地のうち明治初年堺事件により死亡した11名のフランス人水兵墓域、及び身寄りのない外国人墓所として神戸市整備した墓域その他の記念碑などを含め名勝指定して確実な保護図ろうとするものである
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名勝:  円満院庭園  円覚寺庭園  円通寺庭園  再度公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地  別府の地獄  北畠氏館跡庭園  医光寺庭園



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