八上城の戦いとは? わかりやすく解説

八上城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 08:34 UTC 版)

八上城」の記事における「八上城の戦い」の解説

廃城になるまで数多く籠城戦繰り返された。 主な八上城の戦い合戦名勝敗者合戦時期第一次八上城神尾山城両城戦い波多野元清 細川尹賢 大永6年1526年10月 - 11月 第二次八上城の戦い波多野元秀 三好長慶 天文21年1552年4月25日 - 5月23日 第三次八上城の戦い波多野元秀 三好宗渭 天文24年1555年9月27日 第四次八上城の戦い波多野元秀 松永孫六籠城側) 永禄9年1566年2月26日 第五次八上城の戦い(丹波国征討戦)明智光秀 波多野秀治 天正6年1578年9月 - 天正7年1579年6月

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八上城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:42 UTC 版)

八上城の戦い (1578年)」の記事における「八上城の戦い」の解説

天正6年1578年)のものと考えられる9月13日付の書状で、翌14日亀山着陣し、18日八上城背後の山に陣取る光秀記している。また、赤井氏荻野氏の黒井城波多野氏八上城との連携阻止するため、氷上郡多紀郡の境に金山城丹波篠山市丹波市)を築いた同年10月21日摂津国有岡城伊丹市)の荒木村重謀叛起こすと、光秀はその糾問のための使者1人として重のもとに赴き、重の叛意明らかになるとそれを攻め軍勢に加わるなどした。光秀重が波多野氏手を組むことを警戒しており、家臣三田城主・荒木重堅八上城への援軍に来た場合三宅秀満(明智秀満)を亀山派遣する小畠永明伝えている。11月14日には、光秀留守をついて、波多野方から明智方に攻撃仕掛けられていた。 12月21日八上城攻めへと戻った光秀は、八上城周囲に堀や柵を何重も設け厳重な包囲築いた。これにより、9月頃から進められていた八上城への付城構築がほぼ完成し有岡城攻め三木城攻めと同様、徹底した兵糧攻めが行われることとなった。 これに対して天正7年1579年1月26日以前波多野方は籠山ロウ山)の付城襲撃し明智方の小畠永明戦死している。小畠永明光秀より明智姓を与えられており、光秀から信頼される武将だった。 波多野秀治2月晦日付で兵庫屋惣兵衛に対して徳政免除などをしており、また摂津から八上城兵糧送られたとの伝承もあり(『摂陽群談』・『丹波志』)、八上城には外部から兵糧運び込まれていた可能性がある。 しかし、八上城攻め順調に進んだ考えられる4月4日光秀書状によると、城中からは助命退城懇望繰り返し届き、4、500人が餓死して生きて出てきた者も青くむくんでいたという。 籠城途中で八上城から退城した波々伯部氏家系記録には、籠城中に食糧尽き困窮すると、城主波多野氏捕らえて降参すべきだと内談する者が現れ同士討ち生じたとある。 5月5日八上城支城である氷上城(丹波市)が落城し、城主波多野宗長・宗貞父子自害したとみられる(『兼見卿記』)。 5月6日光秀小畠永明代わり八上城攻め加わっていた永明の兄・常好らに対し、「城中調略」を進めたためまもなく本丸焼け崩れると伝えその際持ち場離れぬよう厳命している。 6月1日八上城開城した。この時、波多野方の400余名討死し、光秀麾下明智秀慶(佐竹宗実兄弟負傷している(『兼見卿記』)。 『信長公記』によると、食べ物のなくなった城兵了簡尽き果てて無体に出てきたところを悉く斬り捨て、「調略」により「波多野兄弟三人」を捕らえたという。この調略波多野秀治兄弟への開城交渉とも、波多野兄弟捕らえて差し出すよう城内働きかけたものとも考えられるこの後波多野兄弟秀治・秀尚・秀香)は安土へと送られ6月8日処刑された。

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