八上の白兎神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 07:01 UTC 版)
八頭町には、3つの白兎神社があり『郡家町誌』に掲載されている。 八頭町福本にある白兎神社は、840年前後に仁明天皇より位をいただき、江戸期築造の「大兎大明神」を祀る社殿が大正時代まであって、蟇股には「波に兎」と菊の御紋の彫刻が施されていた。この社は合祀により廃社となり、社殿は八頭町下門尾「青龍寺」に移され、本堂の厨子として再利用されている。 現在、八頭町池田には池田神社(「白兎神社」)と呼ばれる神社があるが、祭神は弁財天、兎神、稲荷神で2基の祠が鎮座する。 八頭町土師百井(はじももい)には、もと白兎神社があり、大正時代に池田の白兎神社と併せてご神体は八頭町宮谷の「賀茂神社」に合祀された。いずれも廃社ではあるものの、地元の人たちによって今もなお崇敬されている。八頭町には白兎神社関係の灯篭が下門尾と前出の賀茂神社に残る。 山間の鳥取県八頭郡八頭町、かつての八上郡(やかみのこおり)を舞台とする白兎の話は、石破洋教授の著作『イナバノシロウサギの総合研究』(牧野出版)をきっかけに広く知られるようになった。書中に紹介された城光寺縁起と#土師百井の慈住寺記録によると、天照大神が八上行幸の際、行宮にふさわしい地を探したところ、一匹の白兎が現れた。白兎は天照大神の御装束を銜(くわ)えて、霊石山頂付近の平地、現在の伊勢ヶ平(いせがなる)まで案内し、そこで姿を消した。白兎は月読尊(つくよみのみこと)のご神体で、その後これを道祖白兎大明神と呼び、中山の尾根続きの四ケ村の氏神として崇めたという[要出典]。 天照大神は行宮地の近くの御冠石(みこいわ)で国見をされ、そこに冠を置かれた。その後、天照大神が氷ノ山(現赤倉山)の氷ノ越えを通って因幡を去られるとき、樹氷の美しさに感動されてその山を日枝の山(ひえのやま)と命名された。 氷ノ山麓の若桜町舂米(つくよね)集落には、その際、天照大神が詠まれた御製が伝わるという。氷ノ越えの峠には、かつて因幡堂があり白兎をまつったというが、現存しない。郷土史家による『須賀山雑記』(すがせんざっき)に掲載がある。 「波に兎」は江戸中期に庶民も広く愛好したことが知られる瑞祥文様である。謡曲「竹生島」の歌詞にも〈月の兎は水に映った月の中で波の上を跳ねる〉とある[要出典]。東北関東九州近畿、各地の寺社の彫刻に「波に兎」の意匠が見られるが、因幡地方には特に集中している[要出典]。 なお、兎が登場する民話は多く、京都府宇治市の宇治神社の縁起には、貴人がウサギに導かれる話が伝わる[要出典]。
※この「八上の白兎神社」の解説は、「因幡の白兎」の解説の一部です。
「八上の白兎神社」を含む「因幡の白兎」の記事については、「因幡の白兎」の概要を参照ください。
- 八上の白兎神社のページへのリンク