白兎神社
白兎神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 07:01 UTC 版)
詳細は「白兎神社」を参照 白兎神社に関しては、江戸時代初期の鳥取藩侍医小泉友賢の『因幡民談記』では、『塵添壒嚢鈔(じんてんあいのうしょう)』に「老兔」の記載があるため、大兔(おおうさぎ)明神は老兔(ろううさぎ)明神である」と考察し、菟は〓(にんべんに竹の右側)草の林の「老兔」であり、洪水によって林から流されると〓の根に乗って沖の島に着いた。帰るために「鰐という魚」をたばかって、己とおまえとどちらが家族が多いか数えようと言って鰐を集めてその背を渡ったという。 平安時代の『延喜式』神名帳の因幡国に白兎神社の記載はないが、それだけで平安時代に存在しなかったとはいえない。また、八上比売を祀る神社に鳥取市の売沼神社(旧八上郡のち旧八頭郡)をあてる説があり、『延喜式』の八上郡に売沼神社の記載がある[要出典]。
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