内陸部の白兎神社
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1999年(平成11年)、旧船岡町出身の石破洋元島根県立女子短期大学(現:島根県立大学)教授の研究発表、翌年の『イナバノシロウサギの総合研究』発刊により、この八上の白兎と天照大神伝承、それに関連すると思われる瀬織津姫祭祀、および白兎神社が脚光を浴びるようになった。現在、地元では、この白兎伝承を顕彰化するさまざまな動きが活発になっている。 かつて八上郡の中心地で、山間の八頭町には3つの白兎神社がある。その地には天照大神が行幸の際、白兎が現れて天照大神に行宮にふさわしい場所として現在の霊石山にある伊勢ヶ平(いせがなる)まで案内したという伝承が、地元の青龍寺(城光寺縁起)、慈住寺(慈住寺記録)に記されている。 八頭町の3つの白兎神社は、大正時代に強制的な合祀により、同町宮谷の賀茂神社に合祀され、形式上は廃社となっている。福本にあった白兎神社は、現在鳥居と額、神木と小祠があるのみであるが、元の本殿は紆余曲折の末、同町門尾(かどお)の青龍寺の本堂厨子として再利用され、本殿正面蟇股(かえるまた)には、波にのる兎の彫刻が施されている。「波に兎」の装飾は、因幡の各地に散在するが、最近の調査によって八頭郡に相当数残存していることが判明しつつある。天照大神はしばらく八上にとどまり、伊勢ヶ平近くの御冠石(みこいわ)で、因幡の国見をし、その石の上に冠を置かれたと言う。この伝承には続きがあり、八頭町の隣、兵庫県境に近い若桜町舂米(つくよね)には天照大神の行幸伝承とともに、天照大神の御製といわれる和歌が伝わっており、かつての国境、現在の鳥取・兵庫県境、氷ノ越え(ひょうのごえ)には因幡堂があり、そこには大兎(おおうさぎ)大明神が祀られ、八頭町福本、池田、土師百井など、鳥取市内海の白兎神社の祭神と同一の神であるとされる。現在因幡堂は但馬側(新温泉町)に移転され、その形状は現在では不明となったままである。
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