内陸部の白兎神社とは? わかりやすく解説

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内陸部の白兎神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:34 UTC 版)

白兎神社」の記事における「内陸部の白兎神社」の解説

1999年平成11年)、旧船岡町出身石破元島県立女子短期大学(現:島根県立大学教授研究発表翌年の『イナバノシロウサギ総合研究発刊により、この八上の白兎天照大神伝承、それに関連する思われる瀬織津姫祭祀、および白兎神社脚光を浴びるようになった。現在、地元では、この白兎伝承顕彰化するさまざまな動き活発になっている。 かつて八上郡中心地で、山間八頭町には3つの白兎神社がある。その地には天照大神が行幸の際、白兎現れ天照大神行宮にふさわしい場所として現在の霊石山にある伊勢ヶ平(いせがなる)まで案内したという伝承が、地元青龍寺城光寺縁起)、慈住寺(慈住寺記録)に記されている。 八頭町3つの白兎神社は、大正時代強制的な合祀により、同町宮谷賀茂神社合祀され、形式上廃社となっている。福本にあった白兎神社は、現在鳥居と額、神木小祠があるのみであるが、元の本殿紆余曲折の末、同町門尾(かどお)の青龍寺本堂厨子として再利用され、本殿正面蟇股かえるまた)には、波にのる兎の彫刻施されている。「波に兎」の装飾は、因幡各地散在するが、最近調査によって八頭郡相当数残存していることが判明しつつある。天照大神はしばらく八上にとどまり伊勢ヶ平近く御冠石みこいわ)で、因幡の国見をし、その石の上に冠を置かれと言うこの伝承には続きがあり、八頭町の隣、兵庫県境に近い若桜町舂米(つくよね)には天照大神行幸伝承とともに天照大神御製といわれる和歌伝わっており、かつての国境現在の鳥取兵庫県境、氷ノ越え(ひょうのごえ)には因幡堂があり、そこには大兎(おおうさぎ)大明神祀られ八頭町福本池田土師百井など、鳥取市内海白兎神社祭神同一の神であるとされる。現在因幡堂但馬側(新温泉町)に移転され、その形状は現在では不明となったまである

※この「内陸部の白兎神社」の解説は、「白兎神社」の解説の一部です。
「内陸部の白兎神社」を含む「白兎神社」の記事については、「白兎神社」の概要を参照ください。

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