作製の経緯とは? わかりやすく解説

作製の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:30 UTC 版)

大日本沿海輿地全図」の記事における「作製の経緯」の解説

本図は、寛政12年1800年)から文化13年1816年)にかけて江戸幕府事業として測量作成が行われたものである上総国出身商人だった伊能忠敬1745年 - 1818年)は隠居後学問本格的に開始し江戸にて幕府天文方高橋至時1764年 - 1804年)に師事し測量天体観測などについて修めていた。当時地球緯度1度相当する子午線弧長について、30里、32里あるいは25里などと諸説があったなか、高橋伊能師弟はこれを正確に測定するという目標有していた。そこで高橋幕府伊能推薦し当時ロシア南下脅威備えて海岸線防備増強する必要があった蝦夷地現在の北海道)の測量兼ねて、その往復北関東東北地方測量することで子午線1度測定行わせるよう願い出た。こうして幕府許可得た伊能寛政12年1800年)、私財投じて第1次測量として蝦夷地および東北北関東測量開始した各地測量には幕府許可要したが、幕府測量許可したばかりか全国各藩伊能への協力命じた。これは、その時点で西洋列強艦船頻繁に日本近海現れるようになっており、国防上の観点から幕府全国沿岸地図を必要とし、伊能事業有益判断したためである。 蝦夷地測量翌年享和元年1801年)には、本州東海岸東北西海岸東海・北陸地方沿岸測量完了文化元年1804年)には、それまで測量結果をいったんまとめ、大図69・中図3枚・小図1枚大中小図については後述からなる東日本地図幕府提出将軍徳川家斉の上覧に供した。なお、子午線1度長さについては28.2里(約110.74キロメートル)と算出し今日計測値較べて極めて誤差小さい(0.2%程度)数値となっている。従来日本地図とは異なり実測による正確・精密な地図の質の高さに幕府上層部驚愕し伊能測量事業への支援をいっそう強化することとなった伊能正式に幕府天文方役人として雇用され、翌文化2年1805年)の第5次測量からは、幕府直轄事業として行われることとなった以後伊能らは文化13年1816年)の第10次測量まで(第9次測量のみ伊能不参加日本全土測量した。なお、蝦夷地については、伊能らが測量した東蝦夷地を除く範囲について他者測量成果用いられており、さらに蝦夷地全域について測量術弟子である間宮林蔵1780年 - 1844年)の観測結果を採り入れたとする分析2014年発表されるなど不明な点がある。伊能文化15年1818年)に完成待たず死去するが、その喪は伏せられ、師・高橋至時の子である高橋景保1785年 - 1829年)が仕上げ作業監督し文政4年7月10日1821年8月7日)「大日本沿海輿地全図」が完成した。そして同図は全国主要地点地名緯度収録した大日本沿海実測録とともに幕府提出された。

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