身幹儀とは? わかりやすく解説

身幹儀(星野木骨)

主名称: 身幹儀(星野木骨
指定番号 126
枝番 0
指定年月日 2004.06.08(平成16.06.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 1?分
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: 身幹儀は安芸国広島医師星野良悦【りょうえつ】(一七五四一八〇二)が作製させた木製人体骨格模型である。良悦は名を範寧【はんねい】、字を子康【しこう】、子【りゆうし】と号した。彼は下顎脱臼した患者の治療見分と自らの治療経験から、人体の骨格構造攻究する必要性実感し寛政三年一七九一)に藩の許可得て刑死体の解剖行い、真骨を入手した。これを模して工人原田孝次【こうじ】(生没年不詳)に人体骨格複製させた。『身幹儀説』によると作製には三〇〇日ほどの日数要したという。
 良悦は寛政十年にこれを江戸持参し杉田玄白大槻玄沢【げんたく】、桂川甫周【ほしゆう】ら当時代表的蘭学者たちにその精巧さを絶賛された。『解体新書』の重訂であった玄沢は、良悦とともにその校本と身幹儀をつきあわせ細部に至るまで一致することに驚嘆している。その評判は、芝蘭堂しらんどう】の新元会の余興書かれといわれる蘭学者相撲見立番付【すもうみたてばんづけ】」で「当角力【すもう】の骨 古今大当り 芸州大力士 星野良悦」と良悦が東方張出大関格付けされることにもうかがえる。また身幹儀と名付けたのも玄沢ら蘭学者たちであった
 良悦は幕府医学館督事多紀元簡【たきげんかん】や幕府医官桂川甫周らの命により、江戸滞在中に幕府医学館にて公開するとともに、さらに一度帰国してもう一躯作製させ、寛政十二年にはこれを医学館献納している。献納品の所在は現在不明である。良悦は享和二年(一八〇二)に身幹儀作製の経緯幕府献上に至るまでの顛末記し、『重訂解体新書』の校本抄録した『身幹儀説』を著したが、その後まもなく没した
 木製人体骨格模型その後大阪各務文献【かがみぶんけん】や奥田万里【ばんり】らによりさらに数躯作製され医学教育の場にも供された。身幹儀はこれら木製人体骨格模型中の最古のものであるまた、その精巧さは江戸時代木工技術水準の高さを伝えとともに人体の骨格構造精密に知る機会与え医学蘭学発達寄与した点で、医史学上に重要である。
 なお、身幹儀は明治期より旧広島藩藩医務めた後藤家で附とした木箱とともに永く保存され広島大学医学資料館開館にあわせ広島大学所有するところとなった



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