人物伝「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」とは? わかりやすく解説

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人物伝「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 16:36 UTC 版)

ジョアキーノ・ロッシーニ」の記事における「人物伝「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」」の解説

ロッシーニイタリアアドリア海面したペーザロ音楽一家生まれた。父ジュゼッペ(Giuseppe)は食肉工場検査官しながらトランペット奏者をしていた。また、アンナAnna)はパン屋の娘で歌手であった両親彼に早くから音楽教育施し6歳時には父親楽団トライアングル演奏したと言われている。父親フランス好意抱いており、ナポレオンが軍を率いてイタリア北部到達したことを喜んでいた。しかしこれが元になり、1796年になってオーストリア政権復帰すると、父親投獄されてしまった。母親ロッシーニボローニャにつれてゆき、生活のためにロマニャーノ・セージア多く劇場歌手として働き、のちに父親再会したこの間ロッシーニはしばし祖母元に送られ手におえない子供と言われていた。容姿はやや太り気味だが、天使のような姿と言われかなりのハンサムだったので、多く女性浮き名流したロッシーニ10代終わりの頃からオペラ作曲家としての活動始めた1813年20歳から21歳にかけての作品タンクレーディ』と『アルジェのイタリア女』でオペラ作曲家としての評判確立し1816年24歳作品セビリアの理髪師』でヨーロッパ中にその名声とどろかせた。 1816年以降ウィーンではロッシーニ人気の高まりによって、イタリア・オペラ派とドイツ・オペラ派の対立巻き起こったが、イタリア派の勝利終わった1822年ロッシーニは『ゼルミーラ上演のためにウィーン訪れ熱烈な歓迎受けた。このとき訪問受けたベートーヴェンは『セビリアの理髪師』を絶賛し、「あなたはオペラ・ブッファ以外のものを書いていけません」と述べたという。ベートーヴェンロッシーニ才能認めていたが、大衆自分音楽芸術性評価せず、ロッシーニの曲に浮かれていることに愚痴もらしている。 1823年ロッシーニパリ訪問し、やはり議論巻き起こしながらも大歓迎受けた。この訪問と同じころに出版された『ロッシーニ伝』において、スタンダールは「ナポレオン死んだが、別の男が現れた」と絶賛している。 1825年フランス国王シャルル10世即位に際して記念オペラ・カンタータ『ランスへの旅』を作曲国王献呈し、「フランス国王第一作曲家」の称号終身年金を得る。37歳で『ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)』発表後オペラ界から引退を表明以後は『スターバト・マーテル』などの宗教曲小品のみを作曲し年金生活に入る。1830年7月革命に際して新政府交渉し前国王政府から給付され年金確保することに成功した一方、彼は若い頃から料理が(食べることも作ることも)大好きで、オペラ界からの引退後サロン主催作曲傍ら料理創作にも熱意傾けたフランス料理よくある○○ロッシーニ風」は、彼の名前から取られ料理の名前である。料理の名前を付けたピアノ曲作っている。 晩年には淋病躁鬱病慢性気管支炎などに悩まされついには1868年直腸癌になり、手術受けたが、それによる丹毒感染して生涯閉じたロッシーニ従来教会儀式などでしか聞くことが出来なかった宗教音楽を、一般コンサートレパートリーとして演奏するように尽力した人物である。ロッシーニこの分野での傑作である『スターバト・マーテル』も、実は一般コンサート念頭において作曲されたものである

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