交流試験車への改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 06:54 UTC 版)
「国鉄31系電車」の記事における「交流試験車への改造」の解説
1959年5月に、支線区での交流電化(50 Hz / 20 kV)の実用化のための試験車として、モハ11形2両(11250, 11255)が日本初の交流用電車に改造された。簡易式の交流専用電車であるため、駆動方式は現在の気動車の駆動方式である液体式であり、ディーゼルエンジンを単相交流電動機に置き換えた以外はほぼ同じであった。また、抑速ブレーキには、回生ブレーキを使用している。この2両の他、単相交流整流子電動機を駆動するモヤ94000(後のクモヤ791-1、60 Hz / 20 kV)が新製され、比較が行なわれた。 11250は、車体は大井工場、電装品は日立製作所で製作しており、駆動方式は、交流電源を主変圧器で400 Vに降圧した後に出力130 kWの交流電動機を定速回転させて、液体変速機で速度制御された後にシャフトと台車に装備された逆転機を介して1軸を駆動させるトルコン式である。起動停止は気動車で使用されていたクラッチを使用せず、液体変速機のトルクコンバーターの油を出し入れすることで行う。車体は、後位に運転台を新設して両運転台とするとともに、各扉にはステップが取付けられた。前面は大幅に形状が変更され、正面はHゴム支持の3枚連続窓とし、コーナー部には斜めに小判形の小窓を設けた特徴的な形状となった。屋根は完全に張り替えられ、妻部は完全な切妻となり、前照灯は幕板部に埋め込まれた。集電装置は他に類例のない特異な形状(ビューゲルの上から1/3の部分に関節を設け、そこから上部を垂直に立ち上げたような形)のZ形パンタグラフである。外板は交流用を表すため赤色に塗られ、前面窓下と幕板にはクリーム色の警戒色が入れられた。台車は駆動方式の変更によりDT11Hとなった。 11255は、車体は近畿車輛、電装品は三菱電機製で、駆動方式は、交流電源を主変圧器で400 Vに降圧した後に出力134 kWの交流電動機を定速回転させて、液体継手と磁星変速機(電磁歯車)で速度制御された後にシャフトと台車に装備された逆転機を介して1軸を駆動させる電磁歯車式である。磁星変速機は戦前の満鉄気動車で実績があった遊星歯車機構が使用されていた。特異な外観を持つ11250と異なり、車体形状は極めて一般的で、前面はそれぞれが独立したHゴム支持の3枚窓、集電装置も一般的な菱形パンタグラフである。台車は駆動方式の変更によりDT11Mとなった。 両車とも、作並機関区に配置され、試験的に交流電化された仙山線で各種試験に供され営業運転も行われたが、いずれも長大編成による運転に適さず、保守上も難点が多かったことから、試験開始直後から研究自体は放棄されたも同然の状態になっていた。 後述する1959年の車両形式称号規程改正では、クモヤ790形に定められ、11250はクモヤ790-1、11255はクモヤ790-11に改番されたが、いずれも1966年に廃車された。
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