交流直流両用電気機関車の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 03:42 UTC 版)
「日本の電気機関車史」の記事における「交流直流両用電気機関車の開発」の解説
交流電化が実用化され軌道に乗ると、各地に直流電化区間との接続点が生じることとなった。当初は、作並駅や黒磯駅のように、架線をセクションに区切ってそこに流す電源を切り替えることで直流専用・交流専用の電気機関車を付け替える地上切替え方式が採用され、その後は北陸本線(米原 - 田村間)のように、中間に非電化区間を挟んで、その区間を蒸気機関車やディーゼル機関車で牽引する交直接続(間接接続)も行なわれた。 しかし、1961年に鹿児島本線北九州地区および常磐線取手以北を交流電化する際には、接続点にデッドセクション(死電区間)を設置し、車両側で交直切替えを行なう車上切替え方式が採用されることになり、交流直流両用車両が開発されることとなった。国鉄では1959年にED46形を試作し、試験を開始した。 変圧器を速度制御に活用できる交流専用機と異なり、交流直流両用機は直流機のシステムに整流(変電)システムを追加することとなり機器重量が嵩むため、設計にあたっては軽量化に注意が払われ、各台車に電動機を1基のみ装架して、これで2軸を同時に駆動するシステムが採用されている。まず、関門間接続用のEF30形試作車が1960年に登場し、初の実用機となったが、交流区間が門司駅構内だけであることから、交流区間では部分出力とされていた。直流区間、交流区間とも全出力となる本格的な本線用機関車としては、1962年から製造された常磐線向けのEF80形が初となる。 これらは、いずれもED46形から受け継いだ1台車1電動機方式を採用していた。しかしその特殊な機構から保守に手間がかかるため、通常の1軸1電動機・吊り掛け駆動方式を採用し、3電源(DC1500V、AC20kV 50Hz/60Hz)に対応したEF81形が1968年に開発され、標準型として150両以上が製造された。
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