二元的宇宙像について
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「アリストテレス」の記事における「二元的宇宙像について」の解説
アリストテレス自然学では、月下の世界は土・水・空気・火の四元素より成り、それらは相互に移り変わることが可能としている。この月より下の常に転化して生成・変化・消滅を繰り返す世界は「地上界」と呼ばれる。それに対して月とそれより先のエーテルよりなる世界では決して転化することがなく、生成や消滅は見られない。この不変の世界は「天上界」と呼ばれる。アリストテレスはそれぞれの世界は別な法則に従っていると考えた。この考え方は二元的宇宙像(論)と呼ばれている。 このアリストテレスによる二元的宇宙像は、バビロニアでの日食や月食などの現象が「地上の物体に作用する」という考え方と結びついて、「地上界の出来事には必然的に天上界が作用している」という考え方の基本となった。月齢による海の干満や曇りの日でも花が太陽の方向を向く植物などから、当時の人々から見ればこれは当然であった。この考えは、地上界の出来事の原因を天上界(つまり星の動き)に求める占星術(学)が隆盛するもとともなった。プトレマイオスはこの法則性を綿密に探るために彼の著書「アルマゲスト」で、将来の惑星の動きを(誤差は大きかったが)計算して予測できる宇宙モデルを初めて構築した。そして著書「テトラビブロス」では、天上界が及ぼす地上界への影響の法則性を探ろうとした。これは実証学的な学問だった。 ところが、占星術は天上界による地上界への影響がはっきりしないまま、星の動きを「未来を指し示す予兆」と捉える星占い(ホロスコープ)として、幅広く民衆に広がっていった。他方、この人々に広がった星占いは、12世紀以降にエフェメリス(天体暦)やアルマナック(生活暦)という惑星を含む天体の正確な運行という強い需要を喚起し、後に天文学が発展する動機ともなった。 天上界が及ぼす地上界への影響の法則性を探ろうとした例として、16世紀のデンマークの天文学者チコ・ブラーエがある。彼は占星学の研究者でもあり、彼が精巧な天文観測装置を作った動機の一つとして、天上界の地上界への影響の法則を正確に捉えられないのは観測精度が足らないと考えたことがある。そして天上界が及ぼす地上界への影響が最も現れるものの一つとして気象を取り上げた。彼は天文観測しながら1582年の10月から1597年の4月まで、15年間にわたってヴェーン島で気象観測の記録を残している。これは占星気象学の検証のためと思われている。 ヨハネス・ケプラーは占星術者としても有名であり、彼の著書『調停者』でも1592 年から1609年までの16 年間にわたって気象観測を継続して、その間に観測された星相と天候異常の関係の実例をいくつも記している。また著書『調和』の中でも「ひたすら天候を観察し、そういう天候を引き起こす星相の考察をしたかからであった。すなわち、惑星が合になるか、一般に占星術師が弘布した星相になると、そのたびに決まって大気の状態が乱れるのを私は認めてきた。」と述べている。 この「天上界」と「地上界」という考え方が終焉するのは、ニュートンによる万有引力の法則の発見によってである。この法則によって天上界と地上界とに同じ法則が適用できることがわかった。この法則は天上界と地上界の区別を消し去り、これを彼は万有引力(universal gravitation)と名付けた。 このようにアリストテレスの二元的宇宙像は、後世に大きな影響を与えた。
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