三菱A型
三菱造船(株)が陸軍の要請に応じて乗用車を製作することになり、1917年、神戸造船所で当時の自動車先進国であった伊フィアットA3ー3型車を参考に荘田泰蔵氏(後の新三菱重工業副社長)等により製作が開始され、1919年に我が国初の量産乗用車として誕生した。 1921年迄に試作を含めて22台製作したが、その後航空機に主力を移すことになり乗用車の生産を中止した。 なお、三菱自動車の岡崎オートギャラリーの展示車両は、当時の資料を参考に自動車ジャーナリストの池田英三氏の考証、五十嵐平達氏の設計などの協力を基に、1972年に復元したものである。 |
保管場所 | : | 三菱自動車工業(株)乗用車技術センター (〒444-8501 愛知県岡崎市橋目町字中新切1番地) |
製作(製造)年 | : | 1917 |
製作者(社) | : | 三菱造船株式会社神戸造船所 |
資料の種類 | : | 複製(レプリカ) |
現状 | : | 展示(静態)・公開 |
車名 / 製作 |
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型式 / 重量 |
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車体 / 寸法 |
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車体 / 車軸 / 操縦 / 付属 |
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機関 / 寸法 / 出力 |
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ハイブリッド |
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駆動系 |
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性能 |
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参考文献 | : | 三菱自動車工業(株)社史 |
その他事項 | : | 前照灯:アセチレン灯;ワイパー:なし;足ブレーキ:リヤーのみ;手ブレーキ:センターシャフトブレーキ;比出力:12.6(56.3)HP/L;最高速度:25~32km/h;燃費率:6km/L; |
三菱・A型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 09:51 UTC 版)
三菱A型(みつびしAがた)は、三菱合資会社が大正時代に三菱造船および三菱内燃機で製造した自動車である。
注釈
- ^ 日本の自動車技術330選 - 三菱A型ではセダンと表記している[1]。
- ^ 刀祢館正久著 「自動車に生きた男たち」ではタクリー号、DAT号の後、オートモ号の直前に紹介。「今から思えば、三菱A型までが"草分け"の時代だった」としている。生産台数は「約30台」と紹介。参考にしたフィアットは三菱自動車工業から「0号」(Fiat Tipo Zero )をモデルとしたと回答したと紹介。
- ^ 愛三工業の荒井久治の1994年(平成7年)の著「自動車の発達史(下)」P14では「自動車の試作に成功」とし台数は「10台完成した」、「自動車産業への参入は、時期尚早と判断したのか、それ以上の深入りはなかった。その後本格的に自動車の生産に入ったのは、1932年の大型バス「ふそう」B46型からである。」と紹介している。
- ^ 1954年(昭和29年)奥村正二著の『自動車』では、『国産車が辿ってきた道』の章で、橋本増次郎の快進社のDAT CAR(脱兎号) 大正三年、実用自動車会社、フォードT型、白揚社のオートモ号、スミスモーター、東京瓦斯電気工業、石川島造船に触れているが三菱にはまったく触れていない。付録の『国産メーカーの系譜図』で三菱が登場するのは『1932年三菱造船神戸省営バス』から。尾崎正久の「日本自動車史」(自研社、昭和17年10月刊)を参考にしたと記されている。
- ^ 1899年(明治32年)兵庫県淡路島生まれ、大正7年(1918年)工業学校卒業し、日本最初の頃の自動車の販売と開発をおこない著作時には兵庫県尼崎市に居を構えていた平岡長太郎の1989年著「昔の飛行機と自動車」では『商品として最初に売り出した国産車としては、東京の「株式会社快進社」の橋本増次郎氏の作ったオートモ号であった。』(P59)『(オートモ号は)当時の自動車としてはほぼ完璧な出来映えで、使用者の評判もよく、関西方面にも多数入ってきた。』(P210)とオートモ号を最初の国産車として扱い、三菱は『大正四年頃から自動車部門を設け、国産車の研究を始めていたが、大正六年にようやく乗用車「三菱号」が完成した。』(P211)とのみ記している。
- ^ 「国産車づくりへの挑戦」P62では「三菱自動車の社史にこのあたりのいきさつがかなり詳しく記述されているが、それは飛行機の製造が禁止された第二次世界大戦後に三菱が自動車部門に積極的に参入したから、歴史として掘り起こされたものであろう。もし三菱重工業が自動車をつくらなかったら、大正時代の乗用車開発は、ほとんど記述することのない些細な出来事であったかもしれない。」と記している。
- ^ 「日本の自動車技術330選 - 三菱A型」では「A3-3型」と紹介している。
- ^ 「国産車づくりへの挑戦」では幌型の「1913: "Zero" - 4cyl」とクーペショーファー型の「1913: 3-3 A - 4 cyl」の2車種を紹介している。
- ^ 運転席と客席が分離されたリムジン型の一種で、客席はクローズドボディだが運転席は開放されているもの。
出典
- 1 三菱・A型とは
- 2 三菱・A型の概要
- 3 関係者
固有名詞の分類
- 三菱A型のページへのリンク