レッド・ツェッペリン解散以降とは? わかりやすく解説

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レッド・ツェッペリン解散以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:03 UTC 版)

ジミー・ペイジ」の記事における「レッド・ツェッペリン解散以降」の解説

ツェッペリン後のペイジソロ活動は、映画ロサンゼルス』(Death Wish II)のサウンドトラックから始まる。 スモール・フェイセスベーシストであったロニー・レイン呼びかけ応じる形で、1983年9月より数回行われたA.R.M.S.(チャリティーコンサートにおいて、レッド・ツェッペリン解散後、はじめてソロステージ登場することとなった。同コンサートにはペイジ並んでエリック・クラプトンジェフ・ベック参加した。 公式映像収められロンドン公演におけるペイジステージは、前述ペイジサウンドトラックからの数曲でスティーヴ・ウィンウッドボーカリストとして起用し、更に「天国への階段」のインストゥルメンタル・ヴァージョンを演奏その後、A.R.M.S.のアメリカ公演ではウィンウッドの代わりにポール・ロジャース(元フリーバッド・カンパニー)が参加しロジャースソロ・アルバムカット・ルース』からの曲や、ロジャース共作したオリジナル曲「ミッドナイト・ムーンライト」も追加された。これがそのままザ・ファーム結成へとつながる伏線となる。 1984年には、元レッド・ツェッペリンメンバーであったロバート・プラントや、ジェフ・ベックらとハニー・ドリッパーズ名義ミニ・アルバムリリースその後この二名は、後述のとおり度々共演することとなる。 1985年にはロイ・ハーパーアルバム参加しツアーにも同行する。また同年両者ソロアルバムを除く、『レッド・ツェッペリン』と、『フリー』『バッド・カンパニー』などの過去キャリア楽曲演奏しない」という暗黙の了解の下、ザ・ファーム結成し2枚アルバムライブツアー行って解散アルバム2枚発売されたのは、「ヒット曲が出るなど、評判よかったから」とするペイジ側の発言、「当初から2枚ほどアルバムリリースしその後ライブも行う予定であった」とするロジャース側の発言とが食い違っている)。 1985年ライヴエイドでは、ツェッペリン解散後初めロバート・プラントジョン・ポール・ジョーンズの3人が合流し、「レッド・ツェッペリン名義20分ほどのステージ・パフォーマンスを行う。曲目は「ロックン・ロール」「胸いっぱいの愛を」「天国への階段であったが、当時日本でのテレビ生中継では「胸いっぱいの愛を」だけが放送されなかった。しかし非難電話殺到したため翌日全曲放送された(ドラマーは、シックパワー・ステーショントニー・トンプソンと、当時プラントソロアルバムプロデュースや一ドラム担当したフィル・コリンズの2名であった)。 1986年ローリング・ストーンズアルバムダーティ・ワーク』のオープニング曲ワン・ヒット」のレコーディング参加し、ストリング・ベンダーを多用したリードギター演奏している。 その後1988年にはペイジゲスト参加したロバート・プラントアルバムナウ・アンド・ゼン』がリリースされた。同年にはプラントゲスト参加したペイジソロ・アルバムアウトライダー』もリリースされて、ペイジソロ・ツアー行っている。また、1988年5月ドラマージョン・ボーナム息子ジェイソン・ボーナム迎えてアトランティック・レコード40周年コンサート」にレッド・ツェッペリン名義出演し1990年にはジェイソン・ボーナム自身結婚式プライベートライブ)でもの再結成が行われた。更に、1995年ロックの殿堂入りスペシャルライブとしてエアロスミスボーカリストであるスティーヴン・タイラーと、ギタリストジョー・ペリー、そして、ニール・ヤング加えて再結成ライブと、最低4回以上は、レッド・ツェッペリン名義再結成ライブが行われている。 1993年には元ディープ・パープルのボーカルデイヴィッド・カヴァデールと、カヴァーデイル・ペイジ結成し1枚アルバム日本ツアーだけで解散する(カヴァデールはツアー続けることを望んだが、ペイジ側から段落理由によってキャンセルされた)。 一方ソロ活動中心であったロバート・プラントは、そういったペイジ行動煽られ刺激を受ける形でペイジ合流し、ペイジ・プラントを結成2枚のフルアルバムや数シングルリリースし数回ツアー行い、現在は中断状態。 ステージ演奏曲目結成当初思惑発言とは異なり、「天国への階段」を除くレッド・ツェッペリン時代曲目オン・パレードとなってしまった(それまでにも、この二人ステージなどで共演していて、1990年行われたロバートソロバンドステージへのペイジ参加様子は、コンピレーション形式オフィシャルビデオ映像CDとなって発売されていた)。 2000年以降には、ブラック・クロウズステージ参加し、そのセッションではレッド・ツェッペリン時代の曲を中心に演奏しライブ・アルバムリリースしたツェッペリンとして1度ライブ演奏されたことがない「カスタード・パイ」などが収録されている。その他、チャリティーコンサート盛んに行っている。 2008年8月24日行われた北京オリンピックの閉会式出席しボーカル務めたレオナ・ルイスと共に胸いっぱいの愛を」を演奏同年製作され記録映画ゲット・ラウド ジ・エッジ、ジミー・ペイジ、ジャック・ホワイト×ライフ×ギター』ではジ・エッジジャック・ホワイト対談ジャム・セッション行った。また同映画では史上初め自宅内部撮影許可され所蔵し機材アルバム等が公開されている。 2015年7月ツェッペリン時代デジタル・リマスター盤のプロモーション為に来日7月30日には44年振り広島訪れ原爆ドーム平和記念公園訪問広島市長である松井一實会談交わした

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