レッド・ツェッペリン解散以降
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「ジミー・ペイジ」の記事における「レッド・ツェッペリン解散以降」の解説
ツェッペリン後のペイジのソロ活動は、映画『ロサンゼルス』(Death Wish II)のサウンドトラックから始まる。 スモール・フェイセスのベーシストであったロニー・レインの呼びかけに応じる形で、1983年9月より数回行われたA.R.M.S.(チャリティー)コンサートにおいて、レッド・ツェッペリン解散後、はじめてソロでステージに登場することとなった。同コンサートにはペイジと並んでエリック・クラプトンやジェフ・ベックも参加した。 公式映像に収められたロンドン公演におけるペイジのステージは、前述のペイジのサウンドトラックからの数曲でスティーヴ・ウィンウッドをボーカリストとして起用し、更に「天国への階段」のインストゥルメンタル・ヴァージョンを演奏。その後、A.R.M.S.のアメリカ公演ではウィンウッドの代わりにポール・ロジャース(元フリー〜バッド・カンパニー)が参加し、ロジャースのソロ・アルバム『カット・ルース』からの曲や、ロジャースと共作したオリジナル曲「ミッドナイト・ムーンライト」も追加された。これがそのままザ・ファームの結成へとつながる伏線となる。 1984年には、元レッド・ツェッペリンのメンバーであった、ロバート・プラントや、ジェフ・ベックらとハニー・ドリッパーズ名義でミニ・アルバムをリリース。その後この二名は、後述のとおり度々共演することとなる。 1985年にはロイ・ハーパーのアルバムに参加し、ツアーにも同行する。また同年「両者のソロアルバムを除く、『レッド・ツェッペリン』と、『フリー』『バッド・カンパニー』などの過去のキャリアの楽曲は演奏しない」という暗黙の了解の下、ザ・ファームを結成し2枚のアルバムとライブツアーを行って解散(アルバムが2枚発売されたのは、「ヒット曲が出るなど、評判がよかったから」とするペイジ側の発言、「当初から2枚ほどアルバムをリリースし、その後ライブも行う予定であった」とするロジャース側の発言とが食い違っている)。 1985年のライヴエイドでは、ツェッペリン解散後初めてロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズの3人が合流し、「レッド・ツェッペリン」名義で20分ほどのステージ・パフォーマンスを行う。曲目は「ロックン・ロール」「胸いっぱいの愛を」「天国への階段」であったが、当時の日本でのテレビ生中継では「胸いっぱいの愛を」だけが放送されなかった。しかし非難の電話が殺到したため翌日全曲放送された(ドラマーは、シック、パワー・ステーションのトニー・トンプソンと、当時プラントのソロアルバムでプロデュースや一部ドラムを担当したフィル・コリンズの2名であった)。 1986年にローリング・ストーンズのアルバム『ダーティ・ワーク』のオープニング曲「ワン・ヒット」のレコーディングに参加し、ストリング・ベンダーを多用したリードギターを演奏している。 その後、1988年にはペイジがゲスト参加したロバート・プラントのアルバム『ナウ・アンド・ゼン』がリリースされた。同年にはプラントがゲスト参加したペイジのソロ・アルバム『アウトライダー』もリリースされて、ペイジはソロ・ツアーも行っている。また、1988年5月、ドラマーにジョン・ボーナムの息子ジェイソン・ボーナムを迎えて「アトランティック・レコード40周年コンサート」にレッド・ツェッペリン名義で出演し、1990年にはジェイソン・ボーナム自身の結婚式(プライベートのライブ)でもの再結成が行われた。更に、1995年のロックの殿堂入りスペシャルライブとしてエアロスミスのボーカリストであるスティーヴン・タイラーと、ギタリストのジョー・ペリー、そして、ニール・ヤングも加えての再結成ライブと、最低4回以上は、レッド・ツェッペリン名義の再結成ライブが行われている。 1993年には元ディープ・パープルのボーカルデイヴィッド・カヴァデールと、カヴァーデイル・ペイジを結成し、1枚のアルバムと日本ツアーだけで解散する(カヴァデールはツアーを続けることを望んだが、ペイジ側から次段落の理由によってキャンセルされた)。 一方、ソロ活動中心であったロバート・プラントは、そういったペイジの行動に煽られ、刺激を受ける形でペイジと合流し、ペイジ・プラントを結成。2枚のフルアルバムや数枚のシングルをリリースし、数回ツアーを行い、現在は中断状態。 ステージ演奏曲目は結成当初の思惑や発言とは異なり、「天国への階段」を除くレッド・ツェッペリン時代の曲目のオン・パレードとなってしまった(それまでにも、この二人はステージなどで共演していて、1990年に行われたロバートのソロバンドのステージへのペイジ参加の様子は、コンピレーション形式のオフィシャルのビデオ映像やCDとなって発売されていた)。 2000年以降には、ブラック・クロウズのステージに参加し、そのセッションではレッド・ツェッペリン時代の曲を中心に演奏し、ライブ・アルバムもリリースした。ツェッペリンとして1度もライブで演奏されたことがない「カスタード・パイ」などが収録されている。その他、チャリティーコンサートも盛んに行っている。 2008年8月24日に行われた北京オリンピックの閉会式に出席し、ボーカルを務めたレオナ・ルイスと共に「胸いっぱいの愛を」を演奏。同年に製作された記録映画『ゲット・ラウド ジ・エッジ、ジミー・ペイジ、ジャック・ホワイト×ライフ×ギター』ではジ・エッジ、ジャック・ホワイトと対談やジャム・セッションを行った。また同映画では史上初めて 自宅内部の撮影が許可され、所蔵した機材やアルバム等が公開されている。 2015年7月、ツェッペリン時代のデジタル・リマスター盤のプロモーションの為に来日。7月30日には44年振りに広島に訪れ、原爆ドームや平和記念公園へ訪問。広島市長である松井一實と会談を交わした。
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