レッド・ツェッペリン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 02:28 UTC 版)
「ジョン・ポール・ジョーンズ (ミュージシャン)」の記事における「レッド・ツェッペリン時代」の解説
詳細は「レッド・ツェッペリン」を参照 ドノヴァンの「ハーディ・ガーディ・マン」のレコーディングでジミーと再会、ヤードバーズのアルバム『リトル・ゲームズ』でセッションした。タイトル曲でジョンはチェロを演奏し、弦編曲も行った。アルバムは商業的に失敗したが、これを機にジョンとジミーは親交を深める。1年後、クリス・ドレヤが写真家に転身することを決心し、ジョンはジミーの新しいバンド、ニュー・ヤードバーズのベーシストの第一候補となった。これが後のレッド・ツェッペリンとなる。既にキャリアを確立していたセッション・ワークを辞め、未知のバンドに参加することはジョンにとって相当な賭けであったが、自身の芸術的創造の欲求には逆らえず、夫人の後押しも相まって、最終的にバンドへと参加した。バンドへのスポットライトはジミーとロバート・プラントに集中しがちではあるが、彼の性格や音楽的才能、経験はツェッペリンの成功に多大な貢献をした。近年、「コード中心或いはコード分解系のリフはペイジ、ベースライン中心或いは単音系のリフはジョンジー」と言うことがジョンによって明かされており、アレンジの面でも多大な貢献をしている。また、作曲の面でもジョンはツェッペリンに欠かせない存在である。
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