レッド・ツェッペリン再結成について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 22:25 UTC 版)
「ロバート・プラント」の記事における「レッド・ツェッペリン再結成について」の解説
プラントはツェッペリン解散後、残されたメンバーの中で最も多くの新作を発表する一方、ツェッペリンの再結成には最も消極的である。ソロになったばかりの頃はかなり不安だったようで、アドバイスを求めに何度かペイジの元を訪れたという が、その後は自信をつけ、ツェッペリン再結成を望む声をよそに自身のソロ・キャリアを進める事に集中した。音楽評論家で大のツェッペリン・フリークである渋谷陽一は「プラントにツェッペリンについて話を聞こうとすると、露骨に嫌そうな顔をする」と語っている。プラントは、1993年に「みんな俺に"大儲けできるのに"って言うけどさ、ツェッペリンの前はジミーも俺も別のグループにいたんだ。それがまた個々の活動へと散っていくだけ。2人で成し遂げた事は素晴しいと思ってるが、今はそんな事どうでもいい。我々は前進しなければならないんだ」と、再結成を拒む理由を語っている。 同じく1993年、ペイジが元ディープ・パープル/ホワイト・スネイクのデイヴィッド・カヴァデールと「カヴァーデイル・ペイジ」を結成した時、プラントは自身の髪形を真似たカヴァデールに強い不快感を示し、「よくもまぁあんな奴と組めたもんだ。俺には理解できないね」と吐き捨てている。3人が組む事は二度とないという気運が高まったが、その翌年、MTVアンプラグドへの出演オファーが来たプラントは、ツェッペリン時代の曲をアレンジしてやってみないかとペイジに声をかけ、再びペイジとプラントは行動を共にする事となった。当初はほんの一度だけのプロジェクトとなるはずだったが、ペイジ・プラントはツェッペリン再結成を望む人達から熱烈な歓迎を受け、本格的な世界ツアーが行われ、さらには新作アルバムまでもが作られた。だがプラントは1999年に突如ペイジ・プラントとしての活動を中止してしまう。ペイジはプラントに思い止まるよう説得したが、彼の決心は固く、「もうやりたくなかったのさ。たくさん、って感じだった」と語っている。 以降、2007年の一夜限りの再結成を除いて、プラントがペイジ、ジョーンズと共に音楽活動を行う機会はなくなっている。2014年にも、再結成すれば900億円以上にも及ぶという契約金さえもあっさりと蹴っている。再結成に前向きであるペイジは、プラントのこのような態度に「こっちの気持ちをもてあそんでるんだ。正直もううんざりだよ」と不快感を示しており、これに対しプラントも「ジミーが何をしたいのかわからない」と困惑気味で、さらに「ジミーも自分のソロをやるべきだ」と進言するなど、再結成する気がない事を改めて表明している。
※この「レッド・ツェッペリン再結成について」の解説は、「ロバート・プラント」の解説の一部です。
「レッド・ツェッペリン再結成について」を含む「ロバート・プラント」の記事については、「ロバート・プラント」の概要を参照ください。
- レッド・ツェッペリン再結成についてのページへのリンク