ベネディクトゥス7世 (ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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ベネディクトゥス7世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 06:44 UTC 版)

ベネディクトゥス7世
第135代 ローマ教皇
教皇就任 974年10月
教皇離任 983年7月10日
先代 ベネディクトゥス6世
次代 ヨハネス14世
個人情報
出生 不明
教皇領ローマ
死去 983年7月10日
教皇領ローマ
ダヴィドもしくはデオダトゥス(トゥスクルム伯家、スポレート公アルベリーコ1世の子)
その他のベネディクトゥス
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ベネディクトゥス7世(Benedictus VII, ? - 983年7月10日)は、ローマ教皇(在位:974年10月 - 983年7月10日)。

トゥスクルム(Tusculum)伯の家系出身で、ダヴィド(David)という人物の子としてローマに生まれる。血脈はローマの支配者アルベリーコ2世(在位:932年 - 954年)と繋がり、またローマの有力貴族クレッシェンティウス家とも繋がる。教皇就任以前はストリ司教を務める。

神聖ローマ皇帝オットー2世の使者シッコ(Sicco)の影響下にあったローマ市の聖職者と市民によって教皇に選出される。この選出は神聖ローマ帝国と地元貴族の妥協によるものであった。

在任中、対立教皇ボニファティウス7世(在位:974年および984年-985年)を退位させ破門に付し、また皇帝オットー2世とともに修道院改革や教会改革を促進させている。981年3月にはサンピエトロ教会で開催した教会会議を主宰して、シモニア(聖職売買)の禁止を決議した。同年8月にはラテラノ教会でも教会会議を開催した。

またベネディクトゥス7世は甥のフィリッポ・アルベリキ(Filippo Alberici)を伴ってイタリア中部のオルヴィエートを訪れている。フィリッポは後になってオルヴィエートに居住し、1016年にはこの町の執政官となっている。




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