プロバビリティーの犯罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 01:26 UTC 版)
本作で用いられている、手段として確実性はなく偶然性に頼るものの、犯行がバレることはなく完全犯罪となるトリックを「プロバビリティーの犯罪(-はんざい)」と呼ぶ。プロバビリティー(probability)とは蓋然性のことであり、ある事柄が起こり得る高さ(確率の高さ)のことを言う。命名者は乱歩自身であり、もともとは上述の通り1920年の谷崎潤一郎の犯罪小説『途上』に、探偵小説的なトリック性を見出したものによる。 ウィキソースにプロバビリティーの犯罪の原文があります。 幼児のいる家庭内のAがBに殺意を抱き、階上に寝室のあるBが、夜中階段を降りる時に、その頂上から転落させることを考える。西洋の高い階段では、うちどころが悪ければ一命を失う可能性が充分ある。その手段として、Aは幼児のおもちやのマーブル(日本で云えばラムネの玉)を階段の上の足で踏みやすい場所においておく。Bはそのガラス玉を踏まないかも知れない。又、踏んでも一命を失うほどの大けがはしないかも知れない。しかし、目的を果たした場合も、失敗に終わつた場合も、Aは少しも疑われることはない。誰でも、そのガラス玉は幼児が昼間そこへ忘れておいたものと考えるにちがいないからである。 (中略) このように、うまく行けばよし、たとえうまく行かなくても、少しも疑われる心配はなく、何度失敗しても、次々と同じような方法をくり返して、いつかは目的を達すればよいという、ずるい殺人方法を、私は「プロバビリティーの犯罪」と名づけている。「必ず」ではなく「うまく行けば」という方法だからである。 — 江戸川乱歩「プロバビリティーの犯罪」 1954年『犯罪學雑誌』 Vol.19 No.5 pp.258-261 乱歩によれば本トリックを使った最初の作品をあえて挙げるとすれば、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの掌編『Was It murder?(殺人なりや?)』があるが、探偵小説やそれに類するものとしては1920年の谷崎の『途上』が間違いなく初としている。1953年に発表した『類別トリック集成』時点においては、本トリックを扱った作品は、本作と『途上』、またスティーヴンソンのものを含め6例としており、他は長編探偵小説でアガサ・クリスティー『もの言えぬ証人』(1937年)、イーデン・フィルポッツ『極悪人の肖像』(1938年)、短編でプリンス兄弟の『指男』を挙げている。また、これ以降の本トリックを用いた著名な作品としては松本清張の『遭難』(1958年)がある。 乱歩は、この「プロバビリティーの犯罪」を探偵小説のトリックとして高く評価しており、本作を書いたこと以外にも『D坂の殺人事件』(1925年)では主人公・明智小五郎の台詞という形を借りて、完全犯罪の例として『途上』に言及し、著者の谷崎を高く称賛する。同年の『新青年』8月号には、評論「日本の誇り得る探偵小説」(書籍としては『悪人志願』に掲載)を載せ、ミステリーの本場である英米に後塵を拝していると思われている日本であっても、谷崎及び『途上』は日本発の世界に誇れる探偵小説作家及び、その代表作であるとして絶賛している。乱歩以外でも平野謙が『途上』を高く評価するなど、谷崎のミステリー作品として名高い。 『赤い部屋』では失敗した事例は登場しないものの、乱歩は「プロバビリティーの犯罪」の巧妙な点は失敗しても繰り返せることにあると上記のように指摘している。実際、元となった『途上』は様々な手段の実行と失敗を繰り返し、ようやく妻の殺害という目的を達したものであり、『極悪人の肖像』も同様にいくつかの失敗を繰り返す展開である。 なお、「可能性の犯罪」という語句が用いられる場合もあるが、蓋然性(probability)と可能性(possibility)はまったく語彙が異なり、誤用である。語句を創案した乱歩はあくまで「プロバビリティーの犯罪」と用いており、「可能性の犯罪」という語句は使用していない(乱歩がプロバビリティーに「確率」の訳を与えている例はある)。
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