プロバスケ界の寵児
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 05:52 UTC 版)
「デイヴィッド・トンプソン (バスケットボール)」の記事における「プロバスケ界の寵児」の解説
1975年に大学を卒業したトンプソンに2つのプロリーグ、NBAとABAが同時に彼を指名した。NBAのアトランタ・ホークスは1975年のNBAドラフトでトンプソンを全体1位指名し、ABAからはバージニア・スクワイアーズが彼を指名したが、スクワイアーズとデンバー・ナゲッツとの1対5の大型トレードによりナゲッツがトンプソンの権利を獲得した。そしてトンプソンが選んだのがナゲッツとの契約だった。トンプソンがナゲッツを選んだのは、ナゲッツがより好条件の契約内容を示したことと、トンプソンの目にはファストフード店のマクドナルドで契約の話を進めるホークスがあまりトンプソンの勧誘に熱心ではないように見えたからだった。トンプソンはナゲッツと5年250万ドルという巨額契約を結んだ。貧しい少年時代を過ごしたトンプソンは、当時ルーキーとしてはプロスポーツ史上最高額の契約を手にしたのである。 トンプソンのプロデビューは鮮烈だった。スカイウォーカーの名に恥じないトンプソンの華やかなプレイは多くのファンの足をアリーナに運ばせ、ナゲッツの総観客動員数は前年1974‐75シーズンの約28万人から1975-76シーズン55万人と、ほぼ2倍という驚異的な伸びを見せた。成績も申し分なく、1年目から平均26.0得点(リーグ3位)6.3リバウンドを記録して当然のように新人王を受賞すると共に、オールABA2ndチームにも名を連ねた。さらにオールスターゲームでは29得点8リバウンドをあげてルーキーにしてオールスターMVPに輝いている。またこのオールスターでは初めてスラムダンクコンテストが開催され彼は空中で360度ターンするダンクを見せて決勝まで進みトンプソンとABAの大スター、ジュリアス・アービングとで争われたが、アービングのレーンアップ(フリースローラインから踏み切ってのダンク)の前に初代スラムダンク王の座は逃している。ナゲッツは前年からラリー・ブラウンがヘッドコーチに就任しており、そしてこの年にはトンプソンにセンターのダン・イッセルという2人の名選手が加わり、60勝24敗という好成績を記録。プレーオフも勝ち抜いてチーム史上初のファイナルに進出するが、トンプソンの前に再びアービングが立ちはだかり、ナゲッツはアービングのニューヨーク・ネッツの前に2勝4敗で敗退した。 優勝こそならなかったもののナゲッツにとっては大成功の1年となったが、この頃にはABAは経営難で瀕死状態となっており、このシーズンも解散に追い込まれるチームが続出。シーズン終了後にはABAそのものがNBAに吸収合併されることで消滅することが決まっていた。比較的優良なフランチャイズだったデンバー・ナゲッツは生き残り、新たにNBAに加盟するという形で生き残ったが、その際にナゲッツは莫大な加盟料を支払わされ、またルールも環境も違うNBAではナゲッツは苦戦を強いられるであろうと予想された。しかしナゲッツはトンプソンとイッセルの二枚看板で新天地でも堂々と戦い、リーグ全体2位の得点力を武器に50勝32敗の成績でミッドウェスト・デビジョンを制し、トンプソンもリーグ4位となる平均25.9得点をあげ、オールNBA1stチームに選出された。プレーオフ1回戦ではポートランド・トレイルブレイザーズと対決。トンプソンが大学時代のライバルだったビル・ウォルトンの上からダンクを叩き込み、バックボードを破壊するという衝撃的な場面も見られたが、チームは2勝4敗で敗退している。なお、1976-77シーズンの得点リーグ1位はやはり元ABAのサンアントニオ・スパーズだったが、プロ3年目の1977-78シーズンにトンプソンはそのスパーズのエース、ジョージ・ガービンと激しい得点王争いを演じる。4月9日のレギュラーシーズン最終戦直前の段階でガービンに僅かに遅れをとり、得点王ランキング2位だったトンプソンは、その最終戦で73得点と爆発。これはトンプソンにとってのキャリアハイであり、ナゲッツのチーム記録であり、そしてリーグ史においてもウィルト・チェンバレンの100得点に次ぐ歴代2位となった(後にコービー・ブライアントが81得点を記録し、2009年現在は歴代3位)。この日の大量得点でトンプソンはついにガービンをかわして得点ランキング1位に躍り出るが、ガービンも黙っておらず、同日に行われたスパーズのレギュラーシーズン最終戦で63得点をあげて再逆転。最終的にはガービンの平均27.22得点、トンプソンの27.15得点となり、トンプソンは得点王のタイトルを逃した。0.07点差は得点王レース史上最小の僅差であり、このシーズンの得点王争いの熾烈さを物語っていた。 このシーズン終了後、トンプソンは5年400万ドルというアメリカプロスポーツチーム史上最高額という超大型契約をナゲッツと結んだ。差別と貧困に塗れた世界から這い上がり、大金と名声を手に入れたトンプソンのキャリアは、今まさに絶頂期を迎えているはずだった。
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