プロになってから
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 07:02 UTC 版)
「フィル・テイラー」の記事における「プロになってから」の解説
ここからのテイラーの成長は、ブリストウの予想よりも早く、1990年、テイラーは、Embassy ワールド・ダーツ・チャンピオンシップの決勝において、ブリストウを6-1で打ち破り、初のワールド・チャンピオンとなる。 また、衰退し始めたダーツの人気を復活及び発展させるためにワールド・ダーツ・カウンスル (WDC)、すなわち現在のプロフェッショナル・ダーツ・コーポレイション (PDC) を歴代のワールド・チャンピオンなどと結成。WDCのトーナメントは、テレビ放送やスポンサーが付いたりもし、ことは上手く進んでいるように見えたが、ブリティッシュ・ダーツ・オーガナイゼイション (BDO) はテイラーらを出場禁止処分とし、彼らと関わった者も出場禁止にすると脅した。テイラーらはBDOから離れ、独自にワールド・チャンピオンシップを開催するようになり、1994年より現在まで、年に2つのワールド・チャンピオンシップが行われ、毎年2人のワールド・チャンピオンが誕生している。 しかし、PDCのワールド・チャンピオンとしてテイラーがBDOのワールド・チャンピオンと直接対決を行うと、常にテイラーの勝利となること、テイラーらが去った後に誕生したBDOのワールド・チャンピオンやWDFランキング上位プレイヤーの大半はPDCに移籍したが、PDCにおいてテイラーの勢いを止められる者がいないこと、統計値の高さやナイン=ダート・フィニッシュの多さが圧倒的であることなど、テイラーが世界最強であり史上最強と言われる所以である。 また、テイラーらPDCで活躍するプレイヤーやPDC、そしてPDCのトーナメントを放送するSky Sportsの努力や工夫により、ダーツのテレビ中継は増え、賞金も高くなり使用会場も広くなった。さらに、テイラー自身のダーツにおける活躍により、BBCはPDCのトーナメントを放送していないのに関わらず、テイラーはBBCにしばしば出演している。 キャリア詳細 初期のキャリア テイラーがデビューしたのは、1988年のカナディアンオープンで、いきなり優勝した。テイラーが27歳の時だった。だが、その後テイラーは主要トーナメントで苦しみ、同年の英国プロ選手権で初戦敗退、ワールドマスターズでは2回戦で敗退した。翌年の全英オープンでは準々決勝に達するも、今大会のチャンピオンであるブライアン・ケアンズに敗れた。その後のワールドマスターズでは準決勝まで進出するも、これも今大会のチャンピオンであるピーター・エヴィソンに敗れた。だが、その後、テイラーは圧倒的な強さを発揮し初め、1990BDO世界選手権では初戦で第6シードのラッセル・スチュワートに3-1(セット)で勝利し、2回戦ではデニス・ヒックリングに3-0、準々決勝ではロニー・シャープに4-2、準決勝ではクリフ・ラザレンコを5-0で打ち破り、決勝では5度のワールドチャンピオンであり、テイラーの恩師でもあるエリック・ブリストウに6-1(セット)で勝利し、初のワールドチャンピオンに輝いた。テイラーは、同年のマン島オープン、フィンランドオープン、北米オープン、デンマークオープン、WDFヨーロッパカップチーム、ペア、シングル、ワールドマスターズで優勝し、世界ランキングで1位になった。そして迎えた1991BDO世界選手権では、準々決勝でノーシードのデニス・プリーストリーに3-4(セット)で敗れた。プリーストリーは、1990年代~00年代にかけてテイラーの強力なライバルであり、いくつかの主要な大会でテイラーのタイトル独占を阻止した。 その後の1991年シーズンはテイラーにとって前年ほど良いものではなく、北米オープンとWDFワールドカップでのみ優勝した。しかし同年のデンマークオープンでは決勝でロッド・ハリントンに敗れ、英国マッチプレーではデニス・プリーストリーに同じく決勝で2-5(セット)で敗れた。フィンランドオープンとWDFワールドカップシングルでは準々決勝で敗れ、ワールドマスターズの決勝ではロッド・ハリントンに2-3(セット)で敗れた。そして迎えた1992BDO世界選手権では、準決勝で第4シードのジョン・ロウに5-4(セット)の接戦を制し、その後の決勝はBDO世界選手権史上最高の試合の一つとされており、第2シードのマイク・グレゴリーに6-5(セット)で勝ち、タイトルを取り返した。グレゴリーはこの試合で計6本の決めれば優勝というダブルを外し、試合はサドンデスレッグまでもつれ込んだ。このレッグでテイラーはダブル20を決め、ようやくこの試合を制した。後にテイラーは、この勝利を自分のキャリアのお気に入りの一つと説明している。 1992年シーズン、テイラーは、WDFヨーロッパカップチームで優勝し、シングルでは決勝で、チームを組んだジョン・ロウに4-2(レッグ)で勝ち優勝を決めた。その後のPDCラダUKマスターズでは準々決勝で敗れ、ジャージーフェスティバルオブダーツでは決勝で再びロッド・ハリントンに敗れた。昨年決勝で敗れたワールドマスターズでは、初戦でピーター・エヴィソンに敗北した。ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ1993BDO世界選手権では第3シードとして出場するも、2回戦でケビン・スピオレクに1-3(セット)で敗れた。その後、テイラーらはテレビ放送が少なく、賞金も十分ではないBDOから離れ、新たにWDCを結成し、独自にトーナメントを開催し初めた。だが、WDC(後PDC)に移ってからのテイラーは不調で、なかなかトーナメントでテイラーの思うような結果を出せなかった。 テイラーは1993年シーズン、ベルリンオープンでのみ優勝し、その後のPDCラダUKマッチプレーでは初戦でジョッキー・ウィルソンに敗れ、ドイツオープン、アントワープオープンでは準々決勝で敗れた。PDCサムソンダーツクラシックでは決勝に進出するも、ボブ・アンダーソンに敗れた。フィンランドオープンでは準々決勝で敗れ、カナディアンオープンでは準決勝でロッド・ハリントンに敗れた。ダッチオープンでも準決勝で敗れた。今度の相手はアラン・ウォリナー=リトルだった。世界選手権前最後の大会であるPDCラダUKマスターズでは、準々決勝でピーター・エヴィソンに敗れた。結局、テイラーはこの年に世界ランキングを8位にまで下げた。第6シードとして臨んだ1994PDC世界選手権では、準々決勝でボブ・アンダーソンに4-2(セット)、準決勝ではスティーブ・ブラウンに5-0で勝ち決勝進出を決めたが、再びデニス・プリーストリーに敗れた。今度のスコアは、1-6であった。 1990年代 その後の1994年シーズンは大会が少なく、テイラーが参加した大会は4つであった。PDCUKマッチプレーでは初戦でジェイミー・ハーヴェイに3-5(レッグ)で敗れ、PDCサムソンダーツクラシックでは準決勝で敗れた。PDCとして最初のプレミアイベントである1994ワールドマッチプレーでは、2回戦でボブ・アンダーソンにタイブレークの末9-11(レッグ)で敗れた。だが、その後のPDCラダUKマスターズでは一昨年に世界選手権で敗れたケビン・スピオレクに決勝で8-0(レッグ)で勝ち、その年の世界ランキングを5位に上げた。第4シードとして臨んだ1995PDC世界選手権では、グループステージをジェラルド・ベリエ、ショーン・ダウンズに勝って通過した後、準々決勝で第5シードのボブ・アンダーソンに4-1(セット)、準決勝では5-4でジョン・ロウとの接戦を制し、再び決勝に進んだ。決勝の相手は第2シードのロッド・ハリントンだったが、テイラーは6-2で勝利し、ワールドチャンピオンの座を取り返した。なお、ロッド・ハリントンはテイラーに対して他の選手に比べて比較的高い勝率を誇っており、通算で44%、7勝9敗であった。 その後の1995年シーズンも大会が少なく、テイラーが参加した大会はたったの2つだった。PDCUKマッチプレーでは初戦で敗退するも、ワールドマッチプレーでは準決勝でジョン・ロウに勝ち、決勝ではデニス・プリーストリーに16-11(レッグ)で勝って優勝を決めた。翌年のWDCナショナルプロダーツリーグでは準々決勝でアラン・ウォリナー=リトルに敗れるも、その直後に開催された1996PDC世界選手権では、グループステージから準々決勝まで1セットも落とさず勝ち進み、準決勝では再びジョン・ロウに、今度は5-1で勝って決勝に進んだ。決勝の相手は、これまで世界選手権で2戦2敗の天敵、デニス・プリーストリー。プリーストリーはこの試合で180得点を15回決め、3ダーツ平均が101.48という素晴らしい内容だったが、テイラーも平均98.52に加え高いダブル率を記録し、6-4の接戦を制した。当時のダーツ界でこのような高水準の試合は前例がなく、この二人が間違いなくダーツ界の伝説であることを示した試合でもあった。 その後、テイラーはPDCUKマッチプレーで優勝した後、この年から始まったゴールデンハーベストノースアメリカンカップの準々決勝でロッド・ハリントンに敗れ、ワールドマッチプレーでは3回戦でピーター・エヴィソンに1-8(レッグ)で敗れ、連覇を逃した。しかし、その後テイラーはPDCワールドペアでボブ・アンダーソンとペアを組み優勝。その後のサンパークスマスターズでも決勝でデニス・プリーストリーを破って優勝し、久し振りに世界ランキングでトップに返り咲いた。3連覇を目指す1997PDC世界選手権ではグループステージでクリス・メイソン、ジェラルド・ベリエ相手に1セットも落とさず勝ち進み、準々決勝ではキース・デラーに5-1で快勝。準決勝ではテイラーの恩師であるエリック・ブリストウに苦戦を強いられるも、5-4で下しなんとか決勝に進出した。決勝の相手は第1シードのデニス・プリーストリーで、昨年に続き、ハイレベルな試合となった。この試合でプリーストリーはやはり高い得点力を発揮し、テイラーは0-2リードとされた。しかし、ここからテイラーは4セットを連取して4-2とした後、リードを守りきって6-3でエリック・ブリストウ以来となる世界選手権のハットトリックを達成した。その後、テイラーはアントワープオープンで優勝した後、昨年ベスト8のゴールデンハーベストノースアメリカンカップの準決勝で、ロッド・ハリントンに敗れた。
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