ブームの終息
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 09:27 UTC 版)
「ローラースルーGOGO」の記事における「ブームの終息」の解説
このように急速に社会に流行したローラースルーGOGOだが、日本ではこれに乗って公園や路地裏はなおのこと交通の多い公道で遊ぶ児童も後を絶たず、1976年の春ごろにトラックに巻き込まれる交通事故が立て続けに2件発生し、報道で危険な玩具として取り沙汰され、激しいバッシングの対象となった。 当時の日本における道路事情は、高度経済成長以降の安定成長期の中で地方都市でも建設ラッシュが起こり、歩道やガードレールもない狭い路地をダンプカーが走り回ることもままあったことから、全国的に児童の飛び出しや左折時の巻き込まれによる事故は多発していた。加えて地方都市では歩道の整備の遅れによって他の交通事故も多発、「交通戦争」という語が用いられていた。1975年(昭和50年)はこのピークが少し過ぎた程度で、まだまだ地方市町村では道路の安全整備は等閑となっており、児童が安心してこのような乗り物に乗って遊べる児童公園のような施設整備が進むのはさらに数年 - 十数年後のことである。 日本では1971年(昭和46年)に玩具業界の日本玩具協会が「玩具安全マーク制度(STマーク)」を開始、社会的にも「玩具の安全性」が注目され始めた時代でもあったため、危険を訴える報道に児童の保護者が反応、突然売上が途絶えた。当時、日本では製造物責任法(PL法)などはまだなかったため、メーカー側の開発者は事故原因究明のために警察で保管されていた事故車体をチェックをすることはできなかった。 この時、発売開始されたばかりのGOGO7も殺到していた注文が途絶え、このため日本国内では少数しか出まわらなかった。 突然の流行によって街に溢れたローラースルーGOGOは当時の警察にとっても交通安全の上で見逃せない要素となっており、2件目の事故発生直後に乗り物としての安全性を疑問視して製品テストを行う旨を発表した。警察ではローラースルーGOGOを2週間にわたって調べたが、特に構造上に問題はないと発表した。しかし発表が出るまでの間にもメディア上でのバッシングは続き、ついに人気が回復することなく注文は途絶えたままとなり、ブームは突然に終息を迎えた。 この市場崩壊で発売元では販売継続を断念し、製造中止となった。このとき売れ残った製品は既に“ Honda Kick'N Go ”として販売していた米国への輸出に振り向けられた。
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