ブームの終焉およびブーム後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 01:43 UTC 版)
「スペースインベーダー」の記事における「ブームの終焉およびブーム後」の解説
インベーダーブームが徐々に社会問題化するに至り、当時のアミューズメント業界による業界団体「全日本遊園協会(JAA)」は、1979年6月2日に「自粛宣言」を発表する。これは、あくまで未成年者には深夜に遊ばせないなど、常識的な範疇における自主規制に他ならないものであった。しかしながら、これが世間へ業者による自粛という印象を与える結果となり、ブームを急速に終わらせる原因ともなった。当時はマスコミなども加熱するブームに対して警鐘を鳴らす論調となり、ゲームに対するイメージの低下やゲームセンターが不良少年のたまり場となった事が報道されるようになった。これらの影響もありブームは急速に縮小し、各メーカーは大量の在庫を抱える事となった。 1979年6月11日、警察庁はゲーム代欲しさに恐喝や強盗などを働く少年非行が増加していること、違法と知りながら景品を出す業者などが目に余るとして、ゲーム機がある場所での補導強化、悪質業者の摘発などを都道府県警に通達した。 インベーダーゲームと同等のクォリティのゲームを家庭でプレイしたいという欲求が、今で言うところの「第一次パソコンブーム」の火付け役になった。 これに派生し、テレビゲームのようなゲーム要素を遊びたいというニーズにより、LSIゲームやゲームウォッチに代表される携帯ゲームなどの玩具製品のヒットにもつながる事になる。
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