ブームの後退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:10 UTC 版)
「F1世界選手権の歴史」の記事における「ブームの後退」の解説
ホンダは1992年末をもって第二期活動を終了する。バブル崩壊により日系スポンサーの撤退が始まり、1994年にはブームの中核にいたアイルトン・セナが事故死し、社会現象的な人気は終息に向かう。1996年には童夢がF1マシンを発表し、参戦を計画したが実現には至らなかった。日本GPの観客動員はその後も10万人以上を保ち、安定したファン層を保有しているものの、テレビ視聴率は伸び悩んでいる。 1990年代後半には井上隆智穂、中野信治、高木虎之介らが参戦したが、下位チームに所属したため目立った成績は残せなかった。一方、全日本F3000選手権経由でF1へステップアップしたエディ・アーバイン、ハインツ=ハラルド・フレンツェン、ラルフ・シューマッハらは優勝を争うトップドライバーに成長した。 無限ホンダエンジンはリジェ、ジョーダンと組んで2001年までに通算3勝を記録した。1997年からタイヤ供給活動を始めたブリヂストンはグッドイヤー、ミシュランと熾烈なタイヤ開発競争を展開。フェラーリの最強時代を支え、2006年にはタイヤメーカーとしてF1通算100勝を突破した。
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