ブロンコ・ビリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 06:48 UTC 版)
ブロンコ・ビリー | |
---|---|
Bronco Billy | |
監督 | クリント・イーストウッド |
脚本 | デニス・ハッキン |
製作 | デニス・ハッキン ニール・ドブロフスキー |
製作総指揮 | ロバート・デイリー |
出演者 | クリント・イーストウッド ソンドラ・ロック |
音楽 | スティーヴ・ドーフ |
撮影 | デヴィッド・ワース |
編集 | ジョエル・コックス フェリス・ウェブスター |
配給 | ワーナー・ブラザース |
公開 | ![]() ![]() |
上映時間 | 116分 |
製作国 | ![]() |
言語 | 英語 |
製作費 | $6,500,000[1] |
興行収入 | $24,265,659 ![]() |
『ブロンコ・ビリー』(Bronco Billy)は、1980年のアメリカ映画。監督・主演はクリント・イーストウッド。脚本はデニス・ハッキン。
あらすじ
ブロンコ・ビリーは西部男たちの荒くれさを活劇ショーに見立て披露する旅回りの一座「ワイルド・ウェスト・ショー」のリーダーだ。彼らはアメリカ中南部を巡業し、時には慈善興業も買ってでるが経済的には困窮していた。
裕福な家に生まれた勝気な女性アントワネット・リリーは30歳までに結婚しなければ父の遺産を継げないため、愛してもいない男アーリントンと名目上の結婚をしようとしていた。しかし、アントワネットの高慢な言動にウンザリしたアーリントンは宿泊したホテルから全ての荷物を持って逃げ出してしまう。アーリントンに財布を盗まれて一文無しになったアントワネットは、ニューヨークの自宅に電話をかけるため、居合わせたビリーに小銭を借りる。しかし、その代償として「ワイルド・ウエスト・ショー」のアシスタントとして旅に同行することになる。一方、アントワネットの母アイリーンは弁護士エドガーの入れ知恵で、行方不明になった彼女をアーリントンに殺害されたことにして夫の遺産を相続しようと考える。エドガーは逮捕されたアーリントンに取引を持ちかけ、減刑と50万ドルの報酬と引き換えに彼に殺害を認めさせる。
アントワネットを引き入れた「ワイルド・ウエスト・ショー」だったが、彼女が手順を無視して勝手なことばかりすることにビリーは不満を募らせ、彼女を解雇しようとする。アントワネットもビリーの指示に従うことを嫌ったため一座を抜けようとするが、新聞に自分の死亡記事が載っているのを見かけ、渋々一座に戻ることになる。次の興行を控えた中、一座のメンバーであるビッグ・イーグルの妻ランニング・ウォーターが妊娠したことを知った一座は近くのバーで祝杯を挙げるが、アントワネットに乱暴を働いた酔客にビリーが殴りかかったことで乱闘騒ぎが起きる。アントワネットはバーの外に逃げ出すが、そこで二人組の男に乱暴されそうになるが、駆け付けたビリーに助け出される。アントワネットの身を気遣うビリーに、彼女は次第に心惹かれていく。
翌日、昨夜の乱闘騒ぎでメンバーのレオナードが逮捕されたことを知ったビリーは釈放を求めるが、保安官から彼がベトナム戦争の兵役を拒否した脱走兵だったことを知らされる。ビリーは保安官と取引してレオナードを釈放させるが、その引き換えに全財産を保安官に引き渡してしまう。さらに、その日の興行で観客が持ち込んだ爆竹で火事が起きてテントが燃えてしまう。一座のメンバーはアントワネットを疫病神扱いして一座から追い出すように求めるが、ビリーはそれを拒否して、新しいテントを手に入れるため警察が管理する精神病院を訪れる。アントワネットはランニング・ウォーターから助言をもらい自分の気持ちと向き合い、ビリーに気持ちを打ち明け一夜を共にする。
アントワネットは距離を置いていた一座のメンバーと和解して興行に取り組むが、精神病院で減刑処分を受けて入院していたアーリントンと再会する。死んだはずのアントワネットが生きていたことを知ったマスコミは大騒ぎし、彼女は遺産相続人としてニューヨークに連れ戻される。ビリーはアントワネットを失ったことに意気消沈し、同じように彼を失った彼女は睡眠薬を大量摂取して自殺を図る、その直前にランニング・ウォーターから電話がかかってくる。ビリーはアントワネットがいない状態で興行を始めるが、そこにアントワネットが現れる。再会を喜んだ二人は興行を無事に終え、観客から喝采を浴びる。
登場人物
- ブロンコ・ビリー
- 演 - クリント・イーストウッド
- 旅回りの一座「ワイルド・ウェスト・ショー」のリーダー。西部一の早撃ちと名高い。優秀なアシスタントを探している。
- アントワネット・リリー
- 演 - ソンドラ・ロック
- 裕福な家の令嬢。父の遺産を相続するために結婚する。しかし高慢な態度をとったことでジョンに嫌がられて逃げられてしまう。無一文になってしまったところでビリー達と出会い、一座で働くことになる。
- アントワネット・リリー
- 演 - ソンドラ・ロック
- 裕福な家の令嬢。
- ジョン・アーリントン
- 演 - ジェフリー・ルイス
- アントワネットの婚約者。しかしアントワネットの高慢な態度に嫌気がさして荷物を盗んでどこかにいってしまう。しかし、この出来事が尾ひれがついて、まるで自分がリリーを殺害したということになってしまい、焦ることとなる。
- ドック・リンチ
- 演 - スキャットマン・クローザース
- 司会役。
- レフティ・リーボウ
- 演 - ビル・マッキーニー
- 左利きで二丁拳銃を扱う。
- レオナード・ジェームズ
- 演 - サム・ボトムズ
- 投げ縄の名人。脱走兵だった過去を持つ。
- チーフ・ビッグ・イーグル
- 演 - ダン・ヴァディス
- インディアン。ロレインとは夫婦で子供が出来た。
- ロレイン・ランニング・ウォーター
- 演 - シェラ・ペシャー
- チーフの妻。
- ディックス
- 演 - ウォルター・バーンズ
- 保安官。
- カンタベリー
- 演 - ウッドロウ・パーフレイ
- 犯罪者を収容している精神病院の院長。
- アイリーン・リリー
- 演 - ビヴァリー・マッキンゼー
- アントワネットの継母。財産目当てに一計を案じる。
- エドガー
- 演 - ウィリアム・プリンス
- 弁護士。リリー家の財産に関する問題を引き受けている。
キャスト
役名 | 俳優 | 日本語吹替 |
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テレビ朝日版 | ||
ブロンコ・ビリー | クリント・イーストウッド | 山田康雄 |
アントワネット・リリー | ソンドラ・ロック | 藤田淑子 |
ジョン・アーリントン | ジェフリー・ルイス | 仲木隆司 |
ドック・リンチ | スキャットマン・クローザース | 田中康郎 |
レフティ・リーボウ | ビル・マッキーニー | 飯塚昭三 |
レオナード・ジェームズ | サム・ボトムズ | 石丸博也 |
チーフ・ビッグ・イーグル | ダン・ヴァディス | 天地麦人 |
ロレイン・ランニング・ウォーター | シェラ・ペシャー | 火野捷子 |
ディックス保安官 | ウォルター・バーンズ | 今西正男 |
カンタベリー院長 | ウッドロウ・パーフレイ | 嶋俊介 |
アイリーン・リリー | ビヴァリー・マッキンゼー | 朝井良江 |
ガソリスタンドのメカニック | ハンク・ウォーデン | 清川元夢 |
エドガー弁護士 | ウィリアム・プリンス | 宮田光 |
不明 その他 |
大橋芳枝 千田光男 佐々木るん 牧章子 杉原康 広瀬正志 飛田展男 島香裕 下川貴子 沢野ゆうや 杉本直樹 旗博史 鈴木一輝 中村友和 |
|
演出 | 春日正伸 | |
翻訳 | 宇津木道子 | |
効果 | 新音響 | |
調整 | 国定保孝 | |
録音 | アートセンター | |
制作 | 日米通信社 | |
初回放送 | 1985年1月13日 『日曜洋画劇場』 21:02-22:54 |
制作
クリント・イーストウッドはデニス・ハッキンとニール・ドブロフスキーから脚本を受け取り、交際関係にあったソンドラ・ロックをヒロインとして出演させた[3]。撮影は1979年にアイダホ州南西部のボイシで6週間程行われた[4]。ボイシでの撮影が終了した後、さらにオレゴン州オンタリオとニューヨーク州で追加の撮影が行われた[3]。低予算で撮影された本作は、予定より2週間から4週間程早く撮影が終了した[5][6]。
評価
レビュー・アグリゲーターのRotten Tomatoesでは20件のレビューで支持率は75%、平均点は6.60/10となった[7]。Metacriticでは10件のレビューを基に加重平均値が66/100となった[8]。
イーストウッドは本作を「自分のキャリアの中で最も魅力的な作品の一つ」として挙げており、伝記作者のリチャード・シーケルは「ビリーのキャラクターはイーストウッド自身の性格を反映している」と指摘している[9][10]。
本作は商業的に失敗した[11]が、批評家からは高い評価を受けている。ニューヨーク・タイムズのジャネット・マスリンは西部劇と現代劇を融合させた演出を称賛し、「イーストウッド映画の中で最高に面白い作品」と述べている[12]。
興行収入は制作費の4倍近い2,400万ドルを記録したが、イーストウッドはこの結果に不満を感じており[13]、インタビューに「この映画は古いテーマを扱っている。何故古いかと言えば、それは映画が取り扱われることを望んでいなかったからだ。しかし、映画監督として私が何を言おうとしていたかを知りたいと感じたならば、それは『ブロンコ・ビリー』の中で見付けることでしょう」と答えている[13]。
ノミネート
- ソンドラ・ロック:第1回ゴールデンラズベリー賞最低女優賞
出典
- ^ Gentry, p.63
- ^ “Bronco Billy”. Box Office Mojo. IMDbPro. 2022年12月8日閲覧。
- ^ a b Hughes, p.122
- ^ “Eastwood and crew begin "Bronco Billy"”. Spokane Daily Chronicle. Associated Press (Washington): p. 3. (1979年10月3日)
- ^ Schickel, Richard (1996). Clint Eastwood: A Biography. New York: Knopf. p. 361. ISBN 978-0-679-42974-6
- ^ McGilligan, Patrick (1999). Clint: The Life and Legend. London: Harper Collins. p. 318. ISBN 0-00-638354-8
- ^ “Bronco Billy”. Rotten Tomatoes. Fandango Media. 2022年9月27日閲覧。
- ^ “Bronco Billy Reviews”. Metacritic. CBS Interactive. 2022年9月27日閲覧。
- ^ Schickel, Richard (1996). Clint Eastwood: A Biography. New York: Knopf. p. 362. ISBN 978-0-679-42974-6
- ^ Schickel, Richard (1996). Clint Eastwood: A Biography. New York: Knopf. p. 365. ISBN 978-0-679-42974-6
- ^ Maslin, Janet (December 17, 1980). "Any Which Way You Can (1980): Screen: Clint and Clyde". The New York Times.
- ^ Maslin, Janet (1980年6月11日). “Bronco Billy (1980):Eastwood Stars and Directs 'Bronco Billy'”. The New York Times
- ^ a b Hughes, p.124
参考文献
- Hughes, Howard (2009). Aim for the Heart. London: I.B. Tauris. ISBN 978-1-84511-902-7
- Gentry, Ric (1999). “Director Clint Eastwood: Attention to Detail and Involvement for the Audience”. In Robert E., Kapsis; Coblentz, Kathie. Clint Eastwood: Interviews. University Press of Mississippi. pp. 62–75. ISBN 1-57806-070-2
外部リンク
ブロンコビリー
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本社所在地のBBビル
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種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査役会設置会社[WEB 1] |
市場情報 | |
略称 | ブロンコB |
本社所在地 | ![]() 〒465-0097 愛知県名古屋市中村区椿町1-5 BBビル 北緯35度10分45.1秒 東経136度58分42.5秒 / 北緯35.179194度 東経136.978472度座標: 北緯35度10分45.1秒 東経136度58分42.5秒 / 北緯35.179194度 東経136.978472度 |
設立 | 1983年(昭和58年)12月26日 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 8180001013307 |
事業内容 | ステーキレストランの展開 |
代表者 | 竹市克弘(代表取締役社長) |
資本金 | 22億1066万7000円 (2020年12月31日現在)[WEB 2] |
発行済株式総数 | 1507万9000株 (2020年12月31日現在)[WEB 2] |
売上高 | 連結:266億17百万円 (2024/12月期) |
営業利益 | 連結:25億31百万円 (2024/12月期) |
経常利益 | 連結:26億円 (2024/12月期) |
純利益 | 連結:17億15百万円 (2024/12月期) |
純資産 | 連結:200億74百万円 (2024/12月期) |
総資産 | 連結:245億20百万円 (2024/12月期) |
従業員数 | 単独: 527人 (2020年12月31日現在)[WEB 2] |
支店舗数 | 150店舗 (2024年12月現在、グループ合計)[WEB 2] |
決算期 | 12月31日 |
会計監査人 | 有限責任あずさ監査法人[WEB 2] |
主要株主 | 株式会社ストロングウィル 27.29% ブロンコビリー従業員持株会 2.56% 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 2.51% 株式会社トーカン 2.45% 竹市克弘 2.15% 株式会社三菱UFJ銀行 1.85% 竹市靖公 1.44% 株式会社十六銀行 1.32% 三菱UFJ信託銀行株式会社 1.32% 竹市啓子 1.19% (2020年12月31日現在)[WEB 2] |
主要子会社 | 株式会社松屋栄食品本舗 100% 株式会社レ・ヴァン 100% |
関係する人物 | 竹市靖公(創業者) |
外部リンク | https://www.bronco.co.jp/ |
株式会社ブロンコビリー(英: BRONCO BILLY Co., LTD.[WEB 3])は、東海地方(愛知県・岐阜県・三重県・静岡県)を中心にステーキレストランチェーンを運営している会社。当ページでは、レストランチェーンとしてのブロンコビリーについても述べる。
概要
1978年に名古屋市北区で開業した「ステーキハウスブロンコ」を母体として、1983年にレストランチェーンを設立した。名前はスペイン語で「野生の馬」「荒々しい」という意味のブロンコと、アメリカの少年の名前であるビリーの名前を組み合わせたもので、「元気で少年少女のような夢を持った会社」でありたいという意図で命名したという[1]。ブロンコはかつて加盟していたステーキハウスのフランチャイズ店の名称だった[2]。
東海地方を中心に、東京都・埼玉県・神奈川県・千葉県・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・奈良県にも出店[WEB 4]。1997年からは、営業を終了していた名古屋市名東区内の店舗を、本社の社屋に転用している。
2020年12月末時点での店舗数は128店舗。全店直営の郊外型店舗で、駐車場を完備している。2014年度には、創業以来初めて日本の飲食業界で最高水準の売上高経常利益率(15.4%)を達成した[WEB 5]。
「ステーキハウスブロンコ」の開業当初から、オープンキッチンやサラダバーを店舗に設置。炭火焼きによるオープンキッチンでのステーキ・俵型ハンバーグの調理や、サラダバーにおける新鮮な野菜・季節料理の食べ放題サービスなどを提供している。しかし、スープについてはメイン料理が運ばれる前に従業員がカップ1杯を運ぶだけに留まり、同業他社に散見されるようなスープバー形式は提供していない[WEB 6]。
1998年には、炭火焼きによる調理やサラダバーを休止したうえ、当時日本の外食業界を席巻していた低価格競争に参入するが、メニューの質が低下したことなどで客離れを招いた[WEB 7]。さらに、主な食材である牛肉を日本国外(オーストラリアなど)からの輸入で賄っていることを背景に、2001年に発生したBSE問題で一気に5億円規模の赤字を計上[WEB 8]。株式会社ブロンコビリー(以下「運営会社」と略記)は一時、倒産の寸前にまで陥った。
創業者の竹市靖公(たけいち やすひろ、以下「靖公」と略記)は、以上の問題をきっかけに、経営の軸足を「低価格戦略による事業規模の拡大」から「顧客に提供する価値の向上」へ転換。「他では真似のできないもので客を喜ばす」「客も従業員もすべて幸せにする」という本来の信念に立ち返りながら、質の高いメニューの提供と、徹底的なコスト削減(自社所有のセントラルキッチンを活用した食材製造・加工の内製化など)によって業績を回復させた[WEB 8]。
2007年には、運営会社がJASDAQに上場。2011年には、東証1部・名証1部への銘柄変更を果たした。当時代表取締役社長を務めていた靖公は、自身が保有していた同社株の一部を2009年に現場の幹部へ贈与。2010年9月には、勤続1年半以上の社員と勤続8年以上のパート・アルバイト店員を対象に、1名当たり100株を無償で割り当てた[WEB 9]。2013年3月からは代表取締役会長に就任する一方、長男の克弘を代表取締役社長に昇格させている[WEB 7]。
現在は、炭火焼きによる調理やサラダバーを再開させているほか、各店にかまども設置。通常の業務用米より2倍高い価格で仕入れた新潟県中魚沼郡津南町産のコシヒカリをかまどで炊きあげ、顧客に提供している[WEB 7]。その一方、年2回のアメリカ研修へパート・アルバイト店員を交互に参加させるなど、人材教育や勤務環境の充実にも力を入れている[WEB 8]。靖公によれば、同業他社の事例を反面教師として、売上高の1%以上に相当する費用を人材教育に充てているという[WEB 10]。

沿革
- 1969年(昭和44年)- 名古屋市北区において喫茶トミヤマとして創業[WEB 11][注釈 1]。創業者の父が、自身の所有する名古屋市北区の土地に建物を建て、息子に喫茶店の経営を任せたのがはじまりであった[3]。このトミヤマという店名は、高校卒業後に靖公の就職先となった大阪の「トミヤマシューズ」の店名から命名した[3]。
- 1978年(昭和53年)6月 - ステーキハウスブロンコ大曽根店創業[WEB 11]。ブロンコは当時全国12店舗を展開するステーキ店で、喫茶店に隣接して新たに立ち上げたフランチャイズ店であった[2]。開店当初は来客も少なく、1ポンドのステーキを3枚、ライスもしくはパン、サラダ、ドリンクを3セット分完食したら無料というキャンペーンを実施したことからテレビに取り上げられ、知名度向上に貢献したという[4]。のちに名古屋市千種区に2店舗を開業した[5]。
- 1981年(昭和56年) - ステーキハウスブロンコ大曽根店を全面改装し、ステーキハウスブロンコビリーとする[WEB 11]。ブロンコから離脱し、ブロンコビリーとして独立した[6]。
- 1983年(昭和58年)12月 - 株式会社ブロンコ設立[WEB 12]。
- 1993年(平成5年)- 自社工場コミサリー・社員寮ブロンコホープタウン完成[WEB 11]。
- 1995年(平成7年)1月 - 現社名に変更[WEB 12]。
- 1997年(平成9年)- 本社を名古屋市名東区の現社屋に移転[WEB 12]。
- 1999年(平成11年)- ブロンコビリー創業以来のサラダバーを廃止[7]。
- 2002年(平成14年)- ジャストインタイム生産システム(JIT)導入[WEB 11]。
- 2004年(平成16年)〜2005年(平成17年) - 全店舗を改装[WEB 12]。
- 2006年(平成18年)- 全店舗を再改装[WEB 12]。
- 2007年(平成19年)11月2日 - ジャスダック上場[WEB 12]。
- 2008年(平成20年)9月22日 - 昭島昭和の森店(東京都)がオープンし、関東地方へ再進出。1990年代前半にも東京に1店舗を開いたが、すぐに撤退していた[8]。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)9月6日 - 青葉台店(神奈川県)がオープンし、神奈川県へ進出。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 2019年(平成31年)3月 - 本社機能を新たに購入した名古屋駅前の「BBビル」に移転[10]。
- 2021年(令和3年)
- 2022年(令和4年)7月1日 - 株式会社松屋栄食品本舗の全株式を取得し、子会社化[WEB 14]。
- 2024年(令和6年)4月1日 - 株式会社レ・ヴァンの全株式を取得し、子会社化[WEB 15]。
Twitter不適切投稿問題

2013年8月5日に、当時営業していた足立梅島店で、アルバイト店員が食材を保管していた店内の冷凍庫に腰の付近まで入った姿を別の店員が写真に撮影。撮影した画像を、Twitter上の自身のアカウントに投稿した。さらに、翌6日に外部からの指摘で投稿が発覚した[WEB 16] ことをきっかけに、当該アカウントは炎上状態に陥った。バカッター事件の一つでもある。
運営会社では、この問題を受けて、「店内の消毒と冷蔵庫の食材の廃棄・交換、店員の社員教育の再徹底を図る」として8月6日から当面休業をすることを発表。当該店員2人を解雇した[WEB 17]。
運営会社では当初、店舗の消毒や清掃を徹底しながら、営業の再開を目指す方向を模索していた。しかし、「衛生上の問題でブランドイメージを完全に損なった」ことから、「顧客の声を聴く限り、今後の信頼回復は難しい」との判断で方針を変更。8月12日の臨時取締役会議で、足立梅島店を完全に閉店[注釈 2]することを決定した。この影響で、足立梅島店に勤務していた他の店員も全員解雇。5500万円の損害となり[WEB 18]、当該投稿に関与した当該店員に対しては、損害賠償を請求する姿勢を明らかにした[WEB 19]。ブロンコビリーの退店後、跡地にはりらくる(マッサージ店)が入居している。
竹市靖公は、この問題を通じて、人材が会社の未来を決めることを改めて確信。自身や運営会社の理念が現場の隅々にまで浸透していなかったことへの反省から、現場の若手社員の悩みを直々に聞く目的で、ビールを酌み交わしながらの合宿研修を毎月実施している[WEB 8]。
テレビ番組
- 日経スペシャル カンブリア宮殿 人気ハンバーグで外食利益率日本一 名古屋の人情親父経営(2015年10月15日、テレビ東京)[12]
スポンサー番組
- テレビ
- アキナのほめらレストラン(テレビ大阪)- 放送終了。一時期はテレビ愛知にもネットされていた。
- ぐっさん家(東海テレビ)
- まんが名作劇場 サザエさん(東海テレビ) - 放送終了。同局のみ番組提供を行った。
- 遠くへ行きたい(読売テレビ・日本テレビ系列)
- ラジオ
関連項目
脚注
注釈
出典
WEB
- ^ 有価証券報告書 内2020年12月期有価証券報告書 - 株式会社ブロンコビリー 2021年3月18日
- ^ a b c d e f 株式会社ブロンコビリー『第39期(2020年1月1日 - 2020年12月31日)有価証券報告書』(レポート)2021年3月18日。
- ^ 株式会社ブロンコビリー定款 第1章第1条
- ^ 店舗検索
- ^ 飲食業ランキングにて経常利益率1位を獲得しました(『産経ニュース』2015年5月27日付記事)
- ^ “【入門編】ブロンコビリーってどんなお店?”. ブロンコビリー (2017年9月12日). 2022年1月19日閲覧。
- ^ a b c 少しのこだわりが強み「失敗権」を与えて学ばせる 竹市靖公 ブロンコビリー社長(『日経レストランONLINE』2013年3月4日付記事)
- ^ a b c d テレビ東京『日経スペシャル カンブリア宮殿』2015年10月15日放送分 株式会社ブロンコビリー会長・竹市靖公
- ^ ブロンコビリーが社員、パート、バイトに100株無償贈与(『ゆかしメディア』2010年9月9日付記事)
- ^ 竹市靖公・ブロンコビリー社長--外食他社の例を反面教師にしている(『東洋経済オンライン』2010年4月20日付記事)
- ^ a b c d e “(株)ブロンコビリー【東証一部・名証一部上場】”. マイナビ (2014年7月29日). 2014年10月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h ブロンコビリー. “沿革”. 2014年10月19日閲覧。
- ^ https://www.kanaloco.jp/news/social/case/article-932757.html 横浜のステーキ店で放火容疑 元従業員逮捕「扱いに不満」2022年8月24日付記事)
- ^ “ブロンコビリー<3091>、調味料や総菜を製造する松屋栄食品本舗を子会社化”. M&A Online. 株式会社ストライク (2022年6月20日). 2022年6月27日閲覧。
- ^ “ブロンコビリー<3091>、とんかつ専門店運営のレ・ヴァンを子会社化”. M&A Online. 株式会社ストライク (2024年3月12日). 2024年3月12日閲覧。
- ^ “ステーキ店員、冷凍庫に腰まで入り撮影・投稿”. 読売新聞. (2013年8月6日). オリジナルの2013年8月9日時点におけるアーカイブ。 2013年8月13日閲覧。
- ^ 『当社アルバイト従業員による不適切な行為に関するお詫び』(pdf)(プレスリリース)ブロンコビリー、2013年8月6日 。2013年8月13日閲覧。『「ブロンコビリー足立梅島店(東京都)」休業期間のお知らせ』(pdf)(プレスリリース)ブロンコビリー、2013年8月6日 。2013年8月6日閲覧。
- ^ 「ブロンコビリー足立梅島店」に関連する情報 | テレビ紹介情報 - 価格.com
- ^ 『「ブロンコビリー足立梅島店(東京都)」退店のお知らせ』(pdf)(プレスリリース)ブロンコビリー、2013年8月12日 。2013年8月13日閲覧。“ブロンコビリー、問題店舗を閉店 バイト撮影問題”. 中日新聞. (2013年8月12日) 2013年8月12日閲覧。
- ^ Wリーグ(女子バスケ)オールスター戦で初のイベント冠協賛を行います!
書籍
- ^ 竹市靖公 2020, pp. 71–72.
- ^ a b 竹市靖公 2020, p. 45.
- ^ a b c 竹市靖公 2020, p. 44.
- ^ 竹市靖公 2020, pp. 64–65.
- ^ 竹市靖公 2020, p. 68.
- ^ 竹市靖公 2020, p. 71.
- ^ 竹市靖公 2020, p. 112.
- ^ 竹市靖公 2020, p. 123.
- ^ 竹市靖公 2020, p. 127.
- ^ 竹市靖公 2020, p. 151.
- ^ “創業者 竹市靖公の逝去に関するお知らせ”. ブロンコビリー (2021年5月10日). 2025年5月3日閲覧。
- ^ 人気ハンバーグで外食利益率日本一 名古屋の人情親父経営 - テレビ東京 2015年10月15日
参考文献
- 竹市靖公『夢に夢中』中部経済新聞社、名古屋〈中経マイウェイ新書〉、2020年7月10日。ISBN 978-4-88520-227-8。
外部リンク
固有名詞の分類
映画作品 |
肉体女優殺し 五人の犯罪者 アバウト・シュミット ブロンコ・ビリー 彼氏と女秘書 純白の夜 |
アメリカ合衆国の映画作品 |
ゾンビ・ストリッパーズ アバウト・シュミット ブロンコ・ビリー 黄金の腕 ロケッティア |
名古屋市の企業 |
タケウチテクノ 三菱重工プラスチックテクノロジー ブロンコビリー 宝交通 東邦液化ガス |
日本の外食産業 |
びっくりラーメン一番 ピーターパンコモコ ブロンコビリー まぐろ市場 永谷園 |
日本の外食事業者 |
スマイルリンクル ピーターパンコモコ ブロンコビリー あきんどスシロー まぐろ市場 |
名東区の企業 |
玉越 ライズピクチャーズ ブロンコビリー 日本ぱちんこ部品 KTCホールディングス |
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