ブレイクスルーの到来 - 世界における活躍
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「日本調教馬の日本国外への遠征」の記事における「ブレイクスルーの到来 - 世界における活躍」の解説
1998年8月9日、フランス遠征に臨んでいたシーキングザパールがモーリス・ド・ゲスト賞を制し、日本調教馬による欧州G1競走初制覇を果たした。この勝利はフランスのみならずイギリスでも大きく報じられ、特に英紙『レーシング・ポスト』は「日本の牝馬、歴史をつくる」の見出しと共に、ハクチカラ以来の日本馬による遠征史を紹介した。さらに翌週の8月16日には、同じくフランス遠征中であり、より有力視されていたタイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞に優勝。日本調教馬による2週連続での仏G1競走制覇を達した。タイキシャトルはこの年、外国産馬としてはじめて、また1600メートル以下の路線としてもはじめて、中央競馬の年度代表馬に選出された。 1999年にはエルコンドルパサーがヨーロッパへの長期遠征を行い、シリウスシンボリ以来となる中長距離路線に参戦。サンクルー大賞に優勝したほか、凱旋門賞2着という成績を残し、インターナショナル・クラシフィケーションにおいて日本調教馬に対する史上最高値となる「134」のレートを得た。さらに同馬はこの年日本で一度も出走しなかったにもかかわらず、中央競馬の年度代表馬に選出された。2000年には、前年アベイユ・ド・ロンシャン賞を制していたアグネスワールドが、「近代競馬の発祥地」イギリスでジュライカップを制し、同国における日本調教馬のG1初制覇を果たした。なお、森秀行厩舎に所属したシーキングザパール、アグネスワールドらの国外遠征においては、豊富な遠征経験を持つドージマムテキが常に帯同し、既に競走馬としては全盛期をとうに過ぎていたが僚馬の遠征を陰で支えた。先述の座談会「国際レースで勝つには」においても「馬は集団の動物であるから、複数馬で遠征すべき」との指摘がなされていたが、ドージマムテキは国外遠征における帯同馬の重要性をあらためて認識させた存在となった。 2001年の香港国際競走においては、施行される4つのG1競走のうちステイゴールドが香港ヴァーズ、エイシンプレストンが香港マイル、アグネスデジタルが香港カップと日本調教馬が3つを占めた。エイシンプレストンとアグネスデジタルは翌年に香港のクイーンエリザベス2世カップで対戦、前者が優勝、後者が2着となり、国外のG1競走ではじめて日本調教馬が1、2着を占める。アラブ首長国連邦の ドバイワールドカップカーニバル からの転戦だったアグネスデジタルは、関係者が競馬会と折衝したことにより、検疫上の理由からそれまで不可能だった国外から国外へのスポット転戦を可能にした。 また、香港ヴァーズ優勝のステイゴールドは日本産馬であり、それまで「外国産の日本調教馬」に偏っていた国外での活躍が、以後変わっていくことになる。同馬の父であるサンデーサイレンスは社台スタリオンステーションで1991年より種牡馬となり、1994年に初年度産駒がデビューして以来、日本競馬界を席巻していた。2000年代以降、その血を受けた馬たちが国外でも活躍をはじめ、2005年にはシーザリオがアメリカンオークス、ハットトリックが香港マイル、2006年にはハーツクライがドバイシーマクラシック、デルタブルースがメルボルンカップと、それぞれ国・条件が異なる4つのG1競走を制した。このうち、ハットトリックは2007年よりアメリカで種牡馬入りすることになった。 また、2006年には同年のゴドルフィンマイルを制したユートピアが、2007年には同年のドバイデューティフリーを制したアドマイヤムーンが、それぞれドバイ首長シェイク・モハメドが率いるゴドルフィンとダーレー・ジャパン・ファームに現役のままトレードされた。とくに後者には約40億円といわれる巨額のオファーがかけられ、欧米では普通に行われている現役馬のトレードの対象に、もはや日本産馬も加えられていることが示された事例となった。 以後も日本調教馬は世界各国のG1競走を制している。2011年にはヴィクトワールピサが世界最高賞金競走であるドバイワールドカップを制覇。同競走の創設初年度から出走馬を送ってきた日本にとって16年目での初戴冠であった。2012・2013年にはロードカナロアが、香港国際競走で唯一、それまで日本馬が上位入着さえなく「鬼門」ともいわれていた香港スプリントを連覇した。2014年にドバイデューティーフリーを制したジャスタウェイは130ポンドのレートを獲得し、ワールド・ベスト・レースホース・ランキング(旧インターナショナル・クラシフィケーション)において日本調教馬として初めて年間1位の座に就いた。 長年にわたり、東京優駿(日本ダービー)を優勝した馬は、日本国外のG1競走を優勝したことがなかったが、2022年ドバイシーマクラシックにおいて、2021年の日本ダービー馬シャフリヤールが史上初めて国外G1を優勝した。
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