パリ講和条約と再軍備
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「イタリアの軍事史」の記事における「パリ講和条約と再軍備」の解説
第二次世界大戦への参戦はパリ講和条約の締結によって正式に終了し、講和条約で王国軍は大幅な軍備制限を受けた。ファシスト勢力の追放が終わると自由選挙による内閣が再び組織されたが、ファシストに手を貸していたサヴォイア王家への処遇を巡って国論が二分される事態となった。王政の是非を問う国民投票は僅差で王政廃止と共和制移行を決議、サヴォイア王家はポルトガルなどへ亡命した。これに伴い共和国憲法が制定され、憲法第11条で侵略行為への反対と平和主義が定められた。 一方で共和国維持の為の軍備については維持が認められ、王国軍はイタリア共和国軍(Forze Armate dello Stato、フォルツ・アルマート・デッラ・イタリアーナ)へと再編されて存続した。また軍備の要として徴兵制の維持も認められ、憲法52条で「兵役は共和国の国民が持つ義務である」と定められている。軍指揮権はそれまでの国王から、元首権限を引き継いだ共和国大統領とその諮問機関である最高国防議会に移管され、憲法87条で同指揮権が明文化された。 新政府がマーシャル・プランを受けて国内再建を進めるのと平行して、北大西洋条約機構(NATO)加盟による再軍備も開始された。冷戦構造下でアメリカや他の西側諸国も積極的に支援し、空軍や陸軍ではM46パットン・P-51/P-47戦闘機などアメリカ軍の装備が提供され、海軍は接収を免れた残存艦艇を集めて共和国海軍を編成した。1950年代後半から60年代には国産兵器の開発も本格化、陸軍は主力戦車を除く兵器を順次国産化し、空軍はアメリカ軍機のライセンス生産や改修を行いながらフィアットG.91などの国産兵器開発にも着手した。海軍はアンドレア・ドーリア級ヘリコプター巡洋艦を建造するなど早くから国産兵器の再開に取り組み、ソビエト連邦の黒海艦隊を牽制する役割を担った。 こうした努力と戦後イタリアの急速な工業化によって1980年代には西欧を代表する国防戦力へと再建を果たし、NATOの主力軍の一つとしてソ連軍とワルシャワ条約機構に対峙する存在となった。1985年には軽空母「ジュゼッペ・ガリバルディ」が竣工、王国海軍時代からの悲願であった航空母艦保有も達成された。主力戦車は依然として他国からの購入で間に合わせていたが、途中で米軍装備からNATO軍で広く採用されていた西ドイツのレオパルト1に変更された。また同時に対戦車装甲車チェンタウロを開発・配備することで、対戦車戦力の一部国産化を進めた(国産戦車の開発は1995年のC-1アリエテ)。
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