パリ賠償協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 01:08 UTC 版)
「第二次世界大戦後におけるドイツの戦後補償」の記事における「パリ賠償協定」の解説
1946年1月14日のパリ賠償協定(ドイツ語版)では、ソ連とポーランドを除く賠償配分を取り扱う連合国間賠償機関(Inter Allied Reparation Agency)の設立が定められるとともに、賠償の徴収期間が1947年から1949年までの間に定められた。また、ソ連への賠償引渡も、ソ連の徴収が合意限度を超えているとして打ち切られた。1949年、ドイツには二つの分断国家、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)と、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立し、正当な継承国が決定されない状況下のため賠償問題の解決は統一後まで一時棚上げされることになった。
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