パリ進軍開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 00:51 UTC 版)
第5軍団司令官レナード・T・ジロー(英語版)少将はパリ進撃部隊を2つに分けた。 北方部隊進撃経路(アルジャンタン東部セー(英語版)→ランブイエ→ヴェルサイユ) 第2機甲師団主力、第38騎兵中隊の一部、工兵部隊、第76野砲旅団 南方部隊進撃経路(アランソン→シャルトル→パレゾー) 第2機甲師団の一部、第38騎兵中隊主力、第5軍団司令部、第4歩兵師団 パリ入城はあくまで第2機甲師団が先に行うことになっていたが、アメリカ軍の貢献も示すために第38騎兵中隊も同行することとなった。両軍は最終目的地で一旦停止し、ドイツ軍の抵抗が軽微である場合のみにパリ市内に入ることと決められた。軍の出発は当初8月22日中に行われる予定であったが、第2機甲師団の集結準備に手間取り、8月23日午前6時30分に進軍が開始された。両軍の進軍はいたってスムーズであり、フランス人による熱狂的な歓迎を受けるのみであった。北方部隊の目的地への到着予定時刻は24日午前5時10分、南方部隊は23日午後8時55分であった。 一方、パリでは内地フランス軍(フランス語版、英語版)と防衛軍による散発的な戦闘が続いていたが、おおむね休戦は維持されていた。しかし午前11時、コルティッツ大将のもとにヒトラーからパリの防衛、暴動鎮圧を命じた上で「パリは、廃墟以外の姿で敵に渡すべきではない」といういわゆる「パリ廃墟命令」が到着した。コルティッツはモーデル元帥に命令遂行が不可能であると上申したが、モーデルは総統命令は一部でも実行しなければならないと命令した。 同日正午すぎ、BBCで「パリ解放」の臨時ニュースが流れた。間もなく誤報であると訂正されたが、これは連合軍の進軍を督促するための内地フランス軍(フランス語版、英語版)ロンドン本部による工作であった。
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