パリ時代 芸術的冒険の日々
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「マックス・エルンスト」の記事における「パリ時代 芸術的冒険の日々」の解説
1921年、ポール・エリュアールに会い「永遠の」友情を結ぶ。『セレベスの象』制作。 1922年、エリュアール夫妻をパリに訪ね、ともに『神々の不幸』、『反復』を出版。ルイーゼとの離婚を済ませぬ前に、ガラ・エリュアール夫人と友情を越えた関係を持つが、夫のポールは黙認するどころか集団恋愛に耽る。 1923年、アンデパンダン展に作品を出品。 1924年、絵画『美しき女庭師』でキュビストとして賞賛を得るが、ナチスに作品を持ち去られ、「退廃芸術展」にて晒しものにされる(後述)。サイゴンに旅行し、失踪しようとしたエリュアールを説得。ブルトンの『シュルレアリスム宣言』に共感し、シュルレアリスム・グループに合流する。『ナイチンゲールに脅かされる二人の子供』制作。 1925年、フロッタージュの手法に目覚める。シュルレアリスム・グループ展に参加。 1926年、『博物誌』出版。パリで初の大規模な作品展を開催。ジョアン・ミロとともにセルゲイ・ディアギレフのバレエのための衣装、装置を制作。 1927年、映画脚本家ジャン・オーランシュの妹マリー=ベルト・オーランシュ(フランス語版)と結婚。 1929年、『百頭女』を出版。ルイス・ブニュエルの頼みで、彼とサルバドール・ダリの映画『黄金時代』の簡単な役を引き受ける。 1930年、『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』出版。 1931年、アメリカで初の作品展を開催。 1934年、アルベルト・ジャコメッティとスイスで過ごし、彫刻作品を手がける。『慈善週間』を出版。 1935年、『ニンフ・エコー』、『都市の全景(完全都市)』制作。 1936年、レオノール・フィニと親密になり、2年ほど交際する。マリーと別離。 1937年、『カイエ・ダール』誌に評論『絵画の彼岸』が掲載される。アルフレッド・ジャリの戯曲『鎖につながれたユビュ』の装置制作。イングランドの画家レオノーラ・キャリントンに出会い、パリで共に暮らす。 1938年、ブルトンによるシュルレアリスム・グループからのエリュアールの追放の呼びかけに反対し、グループを離れる。キャリントンと南仏のサン=マルタン・ダルデシュ(フランス語版)に移住し、彼女の小説『恐怖の館』『卵型の貴婦人』の挿絵を手がける。 1939年、第二次世界大戦勃発とともに、敵性外国人として逮捕され、エクス=アン=プロヴァンスのレ・ミル収容所に収監されるが、エリュアールの助力により保釈。 1940年、今度はゲシュタポに逮捕されて再びレ・ミルに収容される。「レ・ミルのモンマルトル」と呼ばれたこの収容所には芸術家が多く、ハンス・ベルメールとは同室。この事件後、キャリントンはスペインに逃れるが、衝撃によって精神を病み入院。回復後、メキシコ人外交官と結婚して米国に亡命する。
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