バーンスタイン以後
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「ニューヨーク・フィルハーモニック」の記事における「バーンスタイン以後」の解説
1969年にバーンスタインが音楽監督を辞任した後、人選は難航したが、ジョージ・セルが音楽顧問としてつなぎ、1971年から作曲家として名高いピエール・ブーレーズが常任指揮者となった。ブーレーズは徹底してオーケストラを鍛え直し合奏精度を高めたものの、現代音楽を多く扱う一方ではスタンダードなクラシック音楽のレパートリーには無関心であったから、その治世には賛否両論があった。 また、1962年に本拠地を、それまでのカーネギー・ホールからエイヴリー・フィッシャー・ホール(現ディヴィッド・ゲフィン・ホール)に移した。しかし、カーネギー・ホールが豊かな音響で知られる名ホールであったのに対して、後者は響きが良くなかった。2004年には本拠地をカーネギー・ホールへ戻そうという動きが具体化していたが、スポンサーの関係で移転は不可能となった。 その後、1977年からズービン・メータが音楽監督に就任した。ロサンジェルス・フィルハーモニックを躍進させた手腕に期待が集まったが、今一つその期待に応えきれなかった感は残る。メータ時代には管楽器の世代交代も進み、ジョゼフ・ロビンソン(オーボエ、在籍1978年 - 2005年)、ジュディス・ルクレアー(ファゴット、1981年 - )、フィリップ・スミス(トランペット、1978年 - )、フィリップ・マイヤーズ(ホルン、1980年 - )、ジョゼフ・アレッシ(トロンボーン、1985年 - )など、現在も活躍中の多くの名手が採用されている。 1991年からはクルト・マズアが音楽監督となり、馥郁としたしなやかさと香りをオーケストラに与えた。とくに弦楽器のアンサンブルが向上している。マズアは楽団への貢献が讃えられて退任時に楽団史上初の名誉音楽監督の称号を贈られた。 2002年の9月から2009年まで、ロリン・マゼールが音楽監督を務めた。マゼールはこのオーケストラとしてはバーンスタイン以来2人目のアメリカ人指揮者であった。マゼールの音楽監督時代になってからは、すっきりした細身のアンサンブルながら、かつての輝かしい音色を取り戻し、評価は再び高まった。特に首席トランペット奏者フィリップ・スミスと首席トロンボーン奏者ジョゼフ・アレッシのコンビは、世界でも一、二を争う名手の組み合わせである。木管セクションも世代交代をほぼ終えて音色が若返り、コンサートマスターには1980年以来、名手グレン・ディクテロウが座っている。この頃には世界的なCD不況の影響で録音が少なかったが、2005年-2006年のシーズンから、ドイツ・グラモフォンと提携してライヴ録音のインターネット配信(iTunes)を開始した。オーケストラによる新しい音楽媒体の利用法として注目される。2008年2月26日夜、北朝鮮の東平壌大劇場で、米朝関係が良くない中、マゼールの指揮で公演した。アメリカのオーケストラが同国で演奏するのはこれが初めてである。 「2008年ニューヨーク・フィルハーモニックの北朝鮮公演」も参照 2009年秋、アラン・ギルバートが音楽監督に就任した。2018年のシーズンからはヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが音楽監督を引き継いだ。
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