ノルマンディーにおける戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 17:49 UTC 版)
「第352歩兵師団 (ドイツ国防軍)」の記事における「ノルマンディーにおける戦闘」の解説
「ノルマンディー上陸作戦」も参照 第352歩兵師団は、海岸の障害物を改善し、採掘された杭や木材を用いて海岸の障害物の建設を開始した。この作業では、数Kmの内陸部から木材を採取して運ぶだけでなく、杭を砂の奥深くに打ち込む作業も含まれていた。防御陣地には「ベルギー門」(幅約3m、高さ2mの重い鋼製の柵で、通常はコンクリートローラーに取り付けられた移動式の対戦車障害物)が最初に敷設され、次に、上陸用舟艇の舟底を引き裂いたり、転覆させるための、杭と丸太でできたスロープが敷設された。最後に、鉄製のレールでできた対戦車用障害物「チェコの針鼠」が敷設された。ドイツ軍は障害物の周辺に多くの機雷や地雷を敷設していたが、防水処理はされていなかった。 1944年6月までに、東に隣接する固定師団である第716歩兵師団との部隊交換が何度か行われており、師団の防衛陣地には第726歩兵連隊からの人員が配置されていた。第352歩兵師団の1個歩兵大隊が第716歩兵師団の指揮下に置かれ、互いに防御を補っていた。バイユー地区では、西に第914歩兵連隊、東に第916歩兵連隊、南に第915歩兵連隊が駐屯していた。第916歩兵連隊と第726歩兵連隊の部隊は、8つのコンクリート製の掩体壕、35基のブンカー、6つの迫撃砲陣地、35基のネーベルヴェルファー用の発射陣地、85基の機関銃用の銃座を構えていた。 6月6日の早朝、第352歩兵師団の防御陣地から、連合軍上陸部隊の最初の目撃情報がコタンタン半島から届き、第915擲弾兵連隊の一部が派遣された。午前6時の日の出の直前に連合軍艦隊による砲撃が始まり、その35分後にアメリカ軍の戦車と歩兵の第1波の上陸部隊が浜辺に着陸し、迎撃を行う師団との戦闘が行われた。午前中、アメリカ軍は浜辺で多数の死傷者を出したが、午後1時までにアメリカ軍の部隊は師団の防御陣地を攻略し、浜辺を見下ろす丘まで達し、突破口を開いた。 第916擲弾兵連隊と、すでに配置されているか、派遣された他の部隊は、オマハ・ビーチで米第1歩兵師団と第29歩兵師団(en)と交戦し、ビーチの上の断崖を数時間保持し、大きな犠牲者を出した。第916擲弾兵連隊の残存部隊は、他の部隊と共に6月7日の朝に撤退した。 第352砲兵連隊の指揮官であるヴェルナー・プルスカット(en)少佐は、その日の朝、第59迎撃陣地の東の監視塔で連合軍の上陸用舟艇を発見した最初のドイツ兵と言われ、彼の連隊は利用可能なすべての弾薬を集め砲撃を行っていた。米軍の上陸中、師団の第916擲弾兵連隊は上陸する米軍に多大な損害を与えた。なかでも、第62迎撃陣地(de)で機関銃手として配置されていたハインリッヒ・ゼーフェロー(de)上等兵(Gefreiter)は、MG42機関銃を全弾撃ち尽くし、更にKar98k小銃による狙撃によって多数のアメリカ兵を死傷させ『オマハの獣(Beast of Omaha Beach)』と畏れられた。
※この「ノルマンディーにおける戦闘」の解説は、「第352歩兵師団 (ドイツ国防軍)」の解説の一部です。
「ノルマンディーにおける戦闘」を含む「第352歩兵師団 (ドイツ国防軍)」の記事については、「第352歩兵師団 (ドイツ国防軍)」の概要を参照ください。
ノルマンディーにおける戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 17:43 UTC 版)
「第709歩兵師団 (ドイツ国防軍)」の記事における「ノルマンディーにおける戦闘」の解説
「シェルブールの戦い」も参照 アメリカ軍がシェルブールに上陸すると第709歩兵師団は上陸する部隊と激しい攻防戦を行い、背面のアメリカ軍の空挺部隊や正面のユタ・ビーチへ上陸する米第4歩兵師団からコタンタン半島を防衛した。師団は戦闘が始まった10日の間に、約12,000名の戦力で、約4,000名の死傷者を出したと司令部へ報告した。戦闘が始まった最初の数日間に、師団の将校の大半が戦死しており、兵士たちは肉体的にも精神的にも疲弊し、3日間食糧を与えられなかったという。 1944年6月19日、師団は第77、91、243歩兵師団の残存部隊と、地上での戦闘経験のない数千人の海軍野戦部隊と共に包囲された。6月20日から翌21日にかけて師団は、モンテブール(fr)とヴァローニュ(fr)の地域から「シェルブール要塞(Festung Cherbourg)」の防御陣地へ撤退し、海軍野戦部隊の編入によって補充された。また、師団長のシュリーベン中将はシェルブール要塞の司令官に任命された。 1944年6月26日、シェルブール要塞の守備隊は降伏し、師団の残存部隊は連合軍の捕虜になった。師団は、1944年7月26日に正式に解散した。
※この「ノルマンディーにおける戦闘」の解説は、「第709歩兵師団 (ドイツ国防軍)」の解説の一部です。
「ノルマンディーにおける戦闘」を含む「第709歩兵師団 (ドイツ国防軍)」の記事については、「第709歩兵師団 (ドイツ国防軍)」の概要を参照ください。
- ノルマンディーにおける戦闘のページへのリンク