ナチス独裁下のクリスマス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/24 03:07 UTC 版)
「ナチス・ドイツにおけるクリスマス」の記事における「ナチス独裁下のクリスマス」の解説
ナチスのブレーンは、クリスマスにおけるキリスト教的な要素は後代に古代ドイツの伝統に重ね合わされたものだと主張した。その理論によると、クリスマス・イヴはもともとイエス・キリストの誕生とは無関係であり、冬至と「太陽の復活」を祝う習慣であった(鉤十字は古代において太陽のシンボルであった)。またサンタクロースは、ドイツ(ゲルマン)の神オーディンのキリスト教的解釈とされた。したがって、クリスマスのポスターに描かれるのは「クリスマスすなわち冬至の男」であるオーディンであり、そのイメージは、雄々しい白馬にまたがり、豊かな灰色のひげをたくわえ、スローチハットをかぶり、プレゼントのつまった袋を背負う姿だった。イメージの修正は(イエスの産まれた)まぐさ桶にもおよび、木でできた鹿や兎のおもちゃが置かれた庭のイメージに置き換えられ、マリアとイエスは金髪の母子として描かれた。 クリスマス・ツリーも改変の例外ではなかった。伝統的なクリストバウム(Christbaum)やヴァイナハツバウム(Weihnachtsbaum)というツリーの名前は、マスコミではモミの木やユールの木と改められた。ツリーの頂上に置かれる星についても、代わりに鉤十字やルーン文字の「シグ」が置かれたり、鉤十字の形になるようにライトが灯されることがあった。こうした運動の最盛期には、イエスの再臨を連想させるものはすべて排除し、個人崇拝の対象としての「救世主ヒトラー」の再臨に置き換えようという動きまであった。 聖歌(クリスマス・キャロル)も修正の対象となった。『きよしこの夜』の歌詞は改変され、神やキリスト、信仰についての歌ではなくなった。聖歌『われらに時が来たれり』(Es ist für uns eine Zeit angekommen )の歌詞もイエスに関わる要素がなくなった。ドイツでは終戦後もこの改変されたバージョンがしばらく歌われていた。ナチスの宣伝したクリスマス・キャロルとして最も有名なのが『天高く星輝く夜』(Hohe Nacht der klaren Sterne) である。この歌は伝統的なキリスト教的テーマがドイツの人種イデオロギーに置き換えられているのだが、むしろナチス・ドイツの崩壊後に有名になり、1950年代にはいると定期的に合唱されるようになり、現代にはいっても時どき曲目にいれられた。 またヒムラーは感謝のしるしとして、よく親衛隊員にドイツの装飾的な燭台であるユールランタンを贈った。この燭台の一部はダッハウ強制収容所でつくられていた。主婦は子供たちのために、鳥や車輪、十字架の形をしたビスケットを焼くことが奨励された。クリスマス習慣にあわせて、店の目録には、チョコレートでできた親衛隊の兵士やおもちゃの戦車、戦闘機、機関銃が並んだ。 1944年ごろには、当局は戦争そのものに力を注ぐようになり、クリスマスからキリスト教の影響を排除しようという動きは弱まった。またその頃、民間におけるクリスマスのお祝いは、ドイツの戦死者を追悼する日の式典ともなっていた。
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