デハ100形・デハ200形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 02:40 UTC 版)
「池上電気鉄道の電車」の記事における「デハ100形・デハ200形」の解説
デハ100形電車(デハ100がたでんしゃ)は池上電気鉄道が1928年に5両導入した電車(半鋼製2軸ボギー電動客車)。この節では池上電気鉄道が1930年に3両導入した電車(半鋼製2軸ボギー電動客車)デハ200形電車(デハ200がたでんしゃ)についても記述する。 白金・品川方面への延伸計画時にデハ100形を導入、2年後の1930年にデハ200形が増備された。1934年、池上電気鉄道が目黒蒲田電鉄に合併されるとデハ100形はモハ120形、デハ200形はモハ130形へ改番された。 1939年、目黒蒲田電鉄は東京横浜電鉄へ商号変更。さらに1942年には東京急行電鉄(大東急)へ商号変更し、同時にモハ120形・モハ130形ともにデハ3250形へ改番された。その後、1947年から1949年にかけて全車廃車された。 デハ100形は101 - 105の5両、デハ200形は201 - 203の3両。デハ100形は、1928年に汽車会社で製造された池上初の半鋼製車で、両運転台型17m級の3扉車である。 両形式はもともと同形車として計画されたが、貫通形だった前面が非貫通形になるなど車体構造に若干の設計変更が行われたため、1930年に竣功した3両は別形式のデハ200形となった。1934年の目蒲による買収時にも全車引き継がれ、デハ100形はモハ120形120 - 124、デハ200形はモハ130形130 - 132に改番。そして大東急発足時に両形式が統合されてデハ3250形3251 - 3258となり、東急3000系列の一員となった。 「東急3000系電車 (初代)#デハ3250形」も参照 池上から引き継いだデハ3250形は制御器に弱点があった。旧東横・目蒲系の電車は、アメリカのGEが開発したPC系制御器の流れを汲む日立製作所MMCや国鉄型CS-5などの制御器を搭載し、比較的自由に連結が可能であったが、池上引き継ぎの本形式のみはイギリスのイングリッシュ・エレクトリック系のデッカー式制御器を搭載していたため、互換性を欠いて他車と併結できず、運用面での使い勝手は良くなかった。 このため、終戦後に3700系などの運輸省規格形車両やモハ63形、国電の戦災損傷車両を割り当てられ大量購入したのと引き換えに、大手私鉄各社に課せられた地方私鉄への車両供出命令に乗じて早々に整理対象となり、1948年から翌1949年にかけて全車が地方私鉄へ譲渡された。 3251・3252が静岡鉄道へ、3253・3258が庄内交通へ、3254 - 3257が京福電気鉄道(福井地区、現・えちぜん鉄道)へ譲渡された。いずれの鉄道会社でも、比較的大型の半鋼製車であったことから主力車として重用されたが、庄内交通は1975年3月の鉄道線廃止とともに、他の2社でも1970年代後半までには廃車されている。静岡鉄道では1969年に大規模な更新修繕が行われ、窓配置はそのままに片運転台、ノーシル・ノーヘッダー、バス窓、鋼板張り上げ屋根となり、前面も300形などと同様になるなど大幅にイメージチェンジしたが、1000形の増備によりわずか6年で廃車となった。
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