デザインと仕様
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 07:35 UTC 版)
A・B2つの発電所は、どちらも建築家や技術者による1つのグループによって設計された。チームのリーダーは、ロンドン・パワー・カンパニーの主任技術者だったレナード・ピアース(英語版)だった。他にも、ヘンリー・ニューマーチ・アロット(英: Henry Newmarch Allott)や、後にフィルトン(英語版)のブリストル ブラバゾン組み立て工場建設にも貢献したテレンス・パトリック・オサリヴァン(英語版)などがチームに加わっていた。J・セオ・ハリデイ(英: J. Theo Halliday)も建築家として雇われたほか、ハリデイ&エゲート・カンパニー(英: Halliday & Agate Co.)は建築の副顧問を務めた。ハリデイは、建物の外装・内装工事の監督・遂行で責任者を務めた。建築家のジャイルズ・ギルバート・スコット(英語版)は計画がやや進んだところで加わり、市民の要求を満たせるよう協議に参加したため、プレスでは "architect of the exterior"(外装の設計者)と表現された。発電所は、当時流行だったブリック・カテドラル・スタイル(英: The brick cathedral style)で建築された。バタシー発電所は、ウェールズのアスクマウス発電所(英語版)や同じロンドンのバンクサイド発電所と並び、この様式で建てられた英国の発電所として数少ない現存例である。発電所のデザインはすぐに良い評判を得て、「電力の聖堂」(英: a "temple of power")と表現されたほか、セント・ポール大聖堂などと並ぶロンドン名所として格付けられた。Architectural Review (en) による1939年の調査では、名士による審査員団が、この建物を2番目に素晴らしい現代建築物と定めている。 A発電所のコントロール・ルームには、ハリデイの手によってアール・デコ様式の調度品がいくつも加えられた。イタリア製の大理石がタービン・ホールに使われたほか、磨き上げられた寄せ木細工の床や錬鉄製の階段が長年にわたって利用された。第二次世界大戦に続いた資金難から、B発電所の内装には同様の調度は加えられず、代わりにステンレスで作られた内装品が導入された。 繋がった構造の発電所2棟はそれぞれ、煙突が両端に付いた長いボイラー棟と、それに隣接したタービン・ホール (Turbine hall) から成っている。発電所はヨーロッパ最大のレンガ建築物である。建物の総面積は160メートル (520 ft)×170メートル (560 ft)で、ボイラー棟の屋根までは50メートル (160 ft)以上もある。4本の煙突はそれぞれコンクリート製で、高さは103メートル (338 ft)あり、その直径は底部で28フィート (8.5 m)、頂上で22フィート (6.7 m)である。発電所には他にも、石炭を荷下ろしするための突堤や、選別して貯蔵する施設、制御室、管理区域などがある。 A発電所は3台のタービン発電機を使って発電していた。2つは出力69メガワットのメトロポリタン=ヴィッカース・ブリティッシュ・トムソン=ヒューストン(英語版)製のもの、1つは出力105メガワットのメトロポリタン=ヴィッカース製のもので、総出力は243メガワットだった。発注当時、出力105メガワットのタービン発電機はヨーロッパ最大のものだった。B発電所にも同様に3台のタービン発電機が導入されたが、全てメトロポリタン=ヴィッカース製に統一された。2台のユニットでは、16メガワットの高圧タービンに出力78メガワットの低圧タービンを組み合わせ、これに6メガワットの所内用発電機が連結していて、合計100メガワットを出力できた。3台目は66メガワットの機械に6メガワットの所内用発電機が付属し、合計で72メガワットを出力した。B発電所の建設は、発電所全体の総出力400 MWを目標として行われたが、1953年の完成時には総出力509MWを達成した。発電所のボイラーは全てバブコック・アンド・ウィルコックス製で、同じくバブコック・アンド・ウィルコックス製の粉砕器 (Pulverizer) で砕かれた石炭を燃やす方式だった。A発電所には9台、B発電所には6台のボイラーが備えられた。B発電所のボイラーは、当時の英国で史上最大のものだった。B発電所は、操業開始から12年間、国内で最も熱効率の良い発電所でもあった。
※この「デザインと仕様」の解説は、「バタシー発電所」の解説の一部です。
「デザインと仕様」を含む「バタシー発電所」の記事については、「バタシー発電所」の概要を参照ください。
- デザインと仕様のページへのリンク