デイビス式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 01:18 UTC 版)
世界最初の無反動砲で用いられた方式であり、1906年にアメリカ海軍中佐であるクレランド・デイビス(Cleland Davis)が開発した事から「デイビス砲(英語: Davis gun)」と呼ばれる。砲身の後端を閉鎖せず、砲弾によって発生する反動と同じ運動エネルギーを持つカウンターマスを後方から射出して反動を相殺、軽減する。 詳細は「en:Davis_gun」を参照 初期のカウンターマスは金属の塊やワックス、あるいは小径の金属球をワックスで固めたものなどで、大きな後方爆風(バックブラスト)を生じないため、閉鎖された空間や狭い陣地から発射しても射手が爆風に巻き込まれにくいが、撃ち出されたカウンターマスの飛ぶ後方危険界は他の方式より細く長い形状になる。カウンターマスを撃ち出すエネルギーを得るため、同規模の通常の砲と比べると倍の発射薬が必要になり、砲弾とカウンターマスの加速距離を揃えて十分に反動を軽減するには、前方砲身と同程度の後方砲身も必要となるため、全長が長くなり、砲が大型化する欠点がある。更に、実用上の大きな問題として、前後の砲身に挟まれる位置に薬室があるため、通常の後装式火砲のような閉鎖器は設けることができず、装填時には砲身を中央で分割するか、砲身の中央部まで砲弾と装薬を押し込むしかなく、薬莢式にすることが難しい上、再装填に時間がかかった。 デイビス式無反動砲はアメリカで発明されたが、軍隊に正式採用されたのはイギリス軍の航空機搭載型対飛行船、対潜水艦兵器としてだった。米英両国で口径別に数種類が試作され、実際に航空機や艦艇に搭載してのテスト、小規模な部隊配備も行われていたが、機密兵器に指定されていたため、運用の詳細は判明していない。しかし、運用は極めて限定されたもので、戦果を挙げた例もなかったと推定されている。 デイビス砲と使用弾薬の構造については1914年にアメリカで特許が申請されているが、第一次世界大戦終結後は米英両国ともに兵器としての価値を見出せず、運用や研究開発は途絶えている。戦間期の1930年代にアメリカで個人レベルの研究が行われ、数種の特許が申請されているが、いずれも実用化されず、無反動砲が広く装備されていく中で主流にはならなかった。第二次大戦中のドイツ軍は、双発爆撃機に搭載する対艦攻撃兵器として口径35.6cmの大口径デイビス式無反動砲を開発したが、対艦誘導爆弾(対艦ミサイル)に比べて有用性が低いとされ、試作に終わっている。 詳細は「en:Sondergerät_SG104_"Münchhausen"」を参照 第二次世界大戦後には、砕けやすい硬質プラスチックや金属の微粉末、高比重の塩水等をカウンターマスに使用することで後方危険界を縮小できるようになったものが開発される。少量の発射薬で発射し、砲口から出た後に砲弾に内蔵したロケットモーター(ブースター)で加速する方式によって砲身の小型化(短縮化)も実現すると、再装填の問題を考慮する必要のない使い捨ての携帯対戦車兵器に多く採用される方式となった。 航空機(水上機)に対潜用として搭載された、アメリカの1.57インチ(約40mm)デイビス砲航空機搭載型のルイス軽機関銃が副武装兼照準用測距銃として同軸装備されている デイビス砲に使用された各種弾薬の内部構造図その構造上、信管(雷管)は弾薬の中央部にある
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