デイビス副社長のひらめき
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「フランク・コンラッド」の記事における「デイビス副社長のひらめき」の解説
デイビス副社長(Harry P. Davis)は1891年に入社したウェスティングハウス電気製造会社の技術者で、1911年に技術担当副社長に抜擢された。1920年9月29日、ピッツバーグの新聞The Pittsburgh PressやThe Pittsburgh Sunにあるジョセフ・ホーン百貨店の広告ページ”ホーン・デイリー・ニュース”に「Air Concert "Picked Up" By Radio Here」というタイトルの広告がのった。 『木曜夜10時頃から20分ほど、ウィルキンズバーグのフランク・コンランドさんが無線で音楽コンサートを定期放送しています。当店ではこれを聴ける完成品受信機を10ドルからの価格で展示販売中です。 (西・地下売り場)』 (The Pittsburgh Press Sep.29,1920 p11の広告文を日本語で要約したもの) 売出し中の受信機はウェスティングハウス電気製造会社の製品ではなかった。デイビス副社長はコンラッドが自宅から無線電話の定期放送をしていることは知っていたが、それが受信機の販売ビジネスにつながるとは考えてなかったため、この広告を見て驚いた。デイビス副社長はさっそくコンラッドら元無線機チームを召集して、良い音楽レコードを提供すれば蓄音機が売れるように、我々が良い番組を提供すれば受信機が売れるはずだと皆に説いた。これはコマーシャルによる広告放送モデルではなく、受信機を販売するためのソフトウェア(番組コンテンツ)の提供だった。 そしてデイビス副社長はコンラッドをはじめとする集められた一同に、11月2日に行われる合衆国大統領選挙において、ハーディング候補対コックス候補の開票速報が放送可能かを問うと、皆はできると断言した。こうして放送用100W送信機の設計・製作に着手し、あわせて東ピッツバーグ工場の屋上に掘立て小屋のスタジオと送信アンテナの建設がはじまった。
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