テレビドラマに進出とは? わかりやすく解説

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テレビドラマに進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 15:08 UTC 版)

里見浩太朗」の記事における「テレビドラマに進出」の解説

当時岡田茂東映京都所長が、同撮影所改革として時代劇映画テレビ移し映画任侠映画中心とするラインナップ変更する岡田が「時代劇固執するものは一人いらないんだ」などと強行改革進めたため、里見時代劇映画守ろう中村錦之助 (萬屋錦之介)や東千代之介らと1965年5月9日東映俳優組合東映俳優クラブ組合)を結成した。しかし組合活動上手くいかず、「任侠路線自分には似合わない」と活動の場テレビ時代劇に移す。このときは岡田反目回ったが、「私は岡田茂さんに育てて頂いた」と述べている。 里見1967年東映関西テレビ製作の『仮面の忍者 赤影』始め数々テレビ時代劇出演するうになる。だが映画の頃とは打って変わって四番手ないし五番手の役が多くなり、1970年には芸名を「里見浩太郎」から「里見浩太朗」に改名時代劇のみならず刑事ドラマアクションドラマにも出演した1971年5月ナショナル劇場(現・パナソニック ドラマシアター『水戸黄門』第3部TBSC.A.L)(放送同年11月29日)で杉良太郎代わり2代目佐々木助三郎就任1982年7月8日東野英治郎降板を受け自身降板考えた逸見稔の強い希望残留する1987年11月26日第17部収録終了最終回1988年2月22日放送をもって降板足かけ16年半、457回にわたる活躍だった。 1974年、『大江戸捜査網』にて久々に主演務め以降長七郎天下ご免!』、『長七郎江戸日記』、『松平右近事件帳』など幾多テレビ時代劇作品主演務め時代劇俳優地位不動ものとする主演作品では主題歌数多く担当している。1985年から93年にかけて、年末放送されていた日本テレビ系列の『年末時代劇スペシャル』では、最多6度主演している。 「時代劇殺陣がどんどん激しくなっていくのとは対照的に、かつての市川右太衛門的な立ち回り復権させようと、舞い踊るような美し殺陣見せており、市川華麗な部分片岡千恵蔵的な重厚な芝居併せ持つ東映時代劇の申し子」と評されている。 2002年10月14日より放送開始したナショナル劇場『水戸黄門』第31部に、病気降板した石坂浩二代わる5代目水戸光圀役として14年ぶりに復帰また、ゲスト出演での共演含めシリーズ歴代佐々木助三郎渥美格之進全員との共演果たしている。2011年12月19日の第43部『最終回スペシャルをもって42年にわたるシリーズ一時終了決定した際の記者会見では、「ズバッと後ろから斬られた感じ。残念というよりも、痛い。」と語っている。 『大江戸捜査網以降テレビ時代劇では、長年にわたり勧善懲悪作品主演専らとしてきたが、1993年の『炎立つ』への出演皮切りにNHK大河ドラマにも出演するようになった

※この「テレビドラマに進出」の解説は、「里見浩太朗」の解説の一部です。
「テレビドラマに進出」を含む「里見浩太朗」の記事については、「里見浩太朗」の概要を参照ください。

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