チュシ・ガンドゥク成立とダライ・ラマ14世の亡命とは? わかりやすく解説

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チュシ・ガンドゥク成立とダライ・ラマ14世の亡命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:08 UTC 版)

カム反乱」の記事における「チュシ・ガンドゥク成立とダライ・ラマ14世の亡命」の解説

詳細は「キャンプ・ヘール」を参照 アムド・カム東部における蜂起成功一時的なものにおわり、敗残ゲリラたちは、大量難民とともにガンデンポタン統治下でまだ平穏たもっていた中央チベットチベット西蔵部分)に逃げこんだ。 カンパアムドゴロクなどから構成される各地ゲリラたちリタンの有力部族の首領ゴンボ・タシをリーダーとして、兵力数千騎を擁する統一抵抗組織作り、「チュシ・ガンドゥク」と名づけた。名前の由来アムドカムを指す「四江六山」である。各部族活動領域指揮官装備攻撃目標選定などについて合意した。 この組織は、一方でアメリカ中央情報局(CIA)とも接触して援助依頼したCIA反共政策一環としてチベット人ゲリラ訓練受けさせることに合意した。このチベット・プロジェクトは「セイント・サーカス作戦(ST Circus)」というコードネーム与えられた。ゴンボ・タシは6人のチベット人若者選んで隣国インド送り込み1957年2月20日には、CIA導き東パキスタン(現バングラデシュ)に潜入させた。6人は太平洋の島サイパン島移され、5ヶ月の間ゲリラとして最新設備使い方含めた専門訓練受けた。そして1957年10月初めB-17爆撃機秘密裏インド上空通過しパラシュートチベットの地に降り立った。このとき日本嘉手納基地経由している。2人ラサ西部のサムイェー、3人が東チベットリタン送り込まれた。彼らはその後CIA連絡取りアメリカからの物資調達あたった。 キャンプ・ヘールでは、全部で約259人のチベット人訓練受けた。その一部は、パラシュート降下で、(最も疲弊した各地のレジスタンス・グループと合流した。他は、陸路チベット送られ情報収集の任に就いた。また中には、北ネパールのムスタン郊外で、CIA資金援助によるチベット・レジスタンス軍を創設するために尽力した者もいた(1959~1974年)。 ダライ・ラマ平和主義精神から武力行使容認できず、また失敗する信じていたために1957年にゴンポ・タシの支援断っている。 チュシ・ガンドゥク4月ラサで、ダライ・ラマ守護する時がきたときに中国人民解放軍挑む攻勢作戦か、それともチベット各地ゲリラ活動続け防勢作戦かを仏前くじ引き選び前者決まった。ゴムポ・タシの指揮下に「国民志願防衛軍」が組織されインドから多く装備調達したが、それでも物資の不足は深刻であった。しかし1957年初頭には、国民志願防衛軍攻勢をしかけ、中国人民解放軍前哨地点襲撃し圧倒していた。 チュシ・ガンドゥクゲリラ軍であり、部隊の細かい動きはゴンボ・タシでさえ分からなかった。時にはチベット民衆から略奪を働くことさえあったが、そのような部隊容赦なく射殺された。人民解放軍チュシ・ガンドゥクスパイ送り込むこともあったが、すぐに発覚して処刑された。 1958年末に中国は、中央チベットラサシガツェに住む東チベット人に対して故郷に戻るよう布告出し従わないものは強制送還した。中国ダライ・ラマ14世にも反乱軍鎮圧するよう命令したが、下手にガンデンポタン正規兵を派遣すると、ゲリラ組織合流する危険性高かったため、ダライ・ラマ14世はこれを断っている。 事態の悪化につれてチベット民衆の間では、ダライ・ラマ14世中国拉致されるという噂が流れ、ついに1959年3月10日1959年のチベット蜂起を呼ぶこととなり、ダライ・ラマ14世中国人民解放軍の目を逃れてインド国境に向けてラサ脱出すると、中国人民解放軍3月24日ラサ攻撃して多くチベット仏教寺院破壊され、これに反発してチベット人一部武装して反乱起こした。この反乱チベット正月祭典で人が多かったことから2万5000名の僧侶拘束された。 1959年から1960年代半ばまでに亡命したチベット人は8万人である。

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