チュシ・ガンドゥクとカム反乱
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「チベット動乱」の記事における「チュシ・ガンドゥクとカム反乱」の解説
十七ヶ条協定協定の枠組みのもと、ガンデンポタンの統治下で平穏をたもっていたチベット南半部(西蔵)にアムド地方、カム地方からの難民や、敗北したゲリラ兵が流入し、1957年、チベット高原北半部出身者による統一抗中ゲリラ組織チュシ・ガンドゥクが結成、チベット南半部で、ゲリラ活動を展開をはじめる(指導者ゴンボ・タシ)。 チュシ・ガンドゥクは東西冷戦構造に組み込まれ、アメリカのCIAから訓練や資金、武器の供給を受けるようになる。 詳細は「カム反乱」および「チュシ・ガンドゥク」を参照 中華人民共和国政府、ガンデンポタンにチュシ・ガンドゥクの鎮圧を命令する。 中国軍は1957年末に平定に成功。さらに反乱勢力10万人に人民解放軍6万を動員して鎮圧する。中国共産党発表によれば、20,000人を殲滅し、20,000人を逮捕した
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