チュスト・タラサの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/18 15:07 UTC 版)
「タルサ郡 (オクラホマ州)」の記事における「チュスト・タラサの戦い」の解説
1861年、南北戦争が始まると、多くのインディアン準州にいるクリーク族やセミノール族がオポスレヤホラに率いられ、アメリカ合衆国に対する忠誠を守った。1861年11月、南軍のダグラス・H・クーパー大佐が、北軍の支持者に対して屈服させるか地域から追い出すために部隊を動かした。ラウンドマウンテンの戦いと呼ばれる最初の衝突は、11月19日に起こった。北軍側は攻撃に耐えて反撃まで行ったが、最終的に撤退したので、南軍は戦略的な勝利を宣言した。 次の戦いは12月9日に起こった。クーパー大佐の部隊が、現在のタルサ郡内バード・クリークのホースシューベンド(屈曲部)にあるチュスト・タラサで、北軍側を攻撃した。南軍は北軍側をバード・クリークの向こうまで追いやったが、弾薬が不足していたので追撃はできなかった。それでも南軍は勝利を主張した。
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