ダンサー引退後
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2000年にダンサーを引退すると、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで9か月に渡ってカンパニー経営について学び、マネージャーとして2001年にバーミンガム・ロイヤル・バレエ団に復帰した。2004年にロイヤル・バレエ団のマネージャーに任命され、2009年には理事長に就任した。理事長に就任すると初のキューバ公演を指揮し、続いてThe O2での初公演をサポートした。2011年には、モニカ・メイソンの後任として2012年7月にロイヤル・バレエ団芸術監督に就任することが発表された。この他にも、2000年から2009年にかけてロイヤル・バレエ学校の理事会メンバを務めている。 芸術監督に就任すると、「21世紀で最も才能のあるアーティスト、すなわち世界クラスのダンサー、振付家、デザイナー、ミュージシャンを集めて同じステージでコラボレーションする」こと、さらには常任振付家のウェイン・マクレガーと芸術助監督のクリストファー・ウィールドンと緊密に協力することを表明した。そして、芸術監督となった初シーズンでリアム・スカーレットを新たに常任振付家に任命した。2013年には、毎年三幕物バレエの新作を委嘱するという目標を打ち出した。2015年には、2015/2016年シーズンでは新作に注力することを発表し、マクレガー、ウィールドン、スカーレット、ウィル・タケット、カルロス・アコスタの新作を取り上げ、さらにはシャーロット・エドモンズとともに若い振付家を取り上げるプログラムを立ち上げた。 ロイヤル・バレエ団以外でも、2013年からダンスUK、2015年からはノーザン・バレエの理事会にも席を持ち、イギリスのバレエ界に重きをなしている。
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ダンサー引退後
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「アンソニー・ダウエル」の記事における「ダンサー引退後」の解説
1984年、ロイヤル・バレエ団の芸術監督であったノーマン・モリスのアシスタントに任命された。翌年には芸術助監督となり、1986年には芸術監督となった。在職中はソリストやコール・ド・バレエの技術レベルの低下を厳しくチェックした他、ダーシー・バッセル、ジョナサン・コープ、シルヴィ・ギエム、カルロス・アコスタなど、後に世界的に活躍する才能を見出し育成した。1987年に発表した『白鳥の湖』の改訂は、マスコミや観衆からの鋭い批判に晒された。1885年の蘇演にあたってマリウス・プティパとレフ・イワノフが行った伝統的な振付の数々がカットされたことはバレトマネの不快感を大いに煽った。フレデリック・アシュトンとルドルフ・ヌレエフが追加した振付は、物語の展開の面では一定の関心を集めたものの、これまで愛されてきた踊りを省いたことを補うものではなかった。また、ヨランダ・ソナベンドのデザインで美術と衣装が抜本的に変更されたことも観衆の不評を買った。1890年代のロシア・ロマノフ朝を舞台にした第1幕と第3幕の衣装は「リボンと金色のひん曲がった線で飾られ」、第2幕と第4幕の白鳥は「無垢の白い羽の代わりにシャンパン色のボールガウン」を着せられていた。これは『白鳥の湖』の幽玄の美を失わせるものであったが、こういった不評が浴びせられたにもかかわらず、この『白鳥の湖』改訂版はほぼ30年間ロイヤル・バレエ団の公演レパートリーに残された。 翌1988年シーズンには、ダウエルはアシュトンを説得して20年以上にわたって上演されてこなかった『オンディーヌ』の蘇演を肯んじさせた。1958年にマーゴ・フォンテインが初演したオンディーヌ役をマリア・アルメイダに配役し、同じくマイケル・サムズが初演したパレモン役には自身を宛てた。1994年には『眠れる森の美女』の改訂演出を行い、オーロラ姫役にヴィヴィアナ・デュランテを宛て、自らは邪悪な妖精カラボスを演じた。これも観衆受けせず失敗し、その多くはマリア・ビヨルンソンによる不合理で魅力のないデザインが原因とされた。このようにダウエルによる『白鳥の湖』と『眠れる森の美女』には批判的な評価がされたが、ダウエルと共に制作に取り組んだ関係者からは高い評価を受けており、ダウエル自身の評判に深刻な影響を与えることはなかった。2001年にはガラ公演でロイヤル・オペラ・ハウスに別れを告げ、58歳で15年間務めたロイヤル・バレエ団の芸術監督を退任した。英国の演劇ファンは、ダウエルが在職中に成し遂げたことだけでなく、ロイヤル・バレエ団の歴史において最も高く称賛され愛されたダンサーの一人としての舞台キャリアに対して、当然の敬意を表した。
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