ダンサー・振付家等
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マリウス・プティパ(1818年3月11日 - 1910年7月14日)「クラシックバレエの父」※佐々木とは時代が違うが、振付の影響力の大きさを考慮し記載。 ジョージ・バランシン(1904年1月22日 - 1983年4月30日) スラミフィ・メッセレル(1908年8月27日 - 2004年6月3日)(1960年東京バレエ学校にソ連から最初に派遣された教師。1980年息子と共にアメリカに亡命) アレクセイ・ワルラーモフ(1960年東京バレエ学校にソ連から最初に派遣された教師。のちに新作『かぐや姫』を委嘱されるが、1978年4月4日、4月15日の初演を前に肺がんで死去。58歳没) デイム・マーゴ・フォンテイン DBE(1919年5月18日 - 1991年2月21日) オリガ・タラーソワ(ソ連から派遣された教師) ローラン・プティ(1924年1月13日 - 2011年7月10日) モーリス・ベジャール(1927年1月1日 - 2007年11月22日)(東京バレエ団のために、三島由紀夫へのオマージュ『M』、『ザ・カブキ(忠臣蔵)フォーティー・セブン・サムライズ』など、多数の新作振付と舞踏を行う) ジョン・クランコ(1927年8月15日 - 1973年6月26日) ロナルド・ハインド(1931年4月22日 - )(1975年の欧州ツアーにおいて『マルコ・ポーロ』を委嘱した振付家) ルドルフ・ヌレエフ(1938年3月17日 - 1993年1月6日) エカテリーナ・マクシーモワ(1939年2月1日 - 2009年4月28日)とウラジーミル・ワシーリエフ(1940年4月18日 - )夫妻 「世界最高のペア」として佐々木が招聘を取りつけたが、ワシーリエフの負傷で実現せず。代役は北原が務めたが、その後佐々木と北原の間に隙間風が吹くようになる。 ジョン・ノイマイヤー(1939年2月24日 - )『月に寄せる七つの俳句』 ナタリア・マカロワ(1940年11月21日 - ) スザンヌ・ファレル(『ボレロ』)(1945年8月16日 - ) ジョルジュ・ドン(1947年2月25日 - 1992年11月30日) イリ・キリアン(1947年 - ) ジル・ロマン(1960年11月29日 - )ベジャールの死去に伴い、ベジャール・バレエ・ローザンヌの後任の芸術監督に就任 マニュエル・ルグリ(1964年10月19日 - ) シルヴィ・ギエム(1965年2月25日 - ) ヴラジーミル・マラーホフ(1968年1月7日 - ) ヨハン・コボー(1972年6月5日 - ) アリーナ・コジョカル(1981年5月27日 - ) マチュー・ガニオ(1984年3月16日 - ) 木村公香(斎藤友佳理の母。ソ連教師から助手に指名される) 鈴木光代(最初の海外公演のプリマ。ソ連に残らないかという提案を受けたが、反対に遭い断念。半年後退団する) 鈴木滝夫(ソ連教師から助手に指名される) 北原秀晃(代役を務めた後、ボリショイ劇場の踏破を前にして、関係の修復はできず、退団した) 溝下司朗(1980年12月突然退団、1982年2月復帰。30代前半で芸術監督に抜擢される。2005年9月退団) 飯田宗孝(2004年から芸術監督) 高岸直樹(『ザ・カブキ』の由良之助) 友田弘子 斎藤友佳理(木村とパ・ド・ドゥ) 木村和夫(斎藤とパ・ド・ドゥ) 首藤康之(イリ・キリアンの『パーフェクト・コンセプション』、ジョン・ノイマイヤーの『スプリング・アンド・フォール』を初演) 上野水香 坂東玉三郎(ベジャール作品を観て親しい友人となる) 蜷川幸雄(ベジャールの『我々のファウスト』を観て衝撃を受ける
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