セントルイス (軽巡洋艦)
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セントルイス (英語: USS St. Louis, CL-49) は[1]、アメリカ海軍の巡洋艦[2]。セントルイス級軽巡洋艦 (St. Louis-class Light cruiser) [注釈 1]の1番艦。艦名はミズーリ州セントルイスに因む。その名を持つ艦としては5隻目。
注釈
- ^ ブルックリン級軽巡洋艦 (Brooklyn class Light cruiser) の後期型である[3]。
- ^ 港外にむかうセントルイスと、炎上する戦艦群の写真が残っている[15]。
- ^ プランゲ博士の『トラ トラ トラ』(2001)334ページでは、セントルイスを襲った甲標的を岩佐艇(岩佐直治大尉、佐々木直吉 一等兵曹)と記述する[22]。
- ^ 横山艇は駆逐艦の爆雷攻撃で撃沈された可能性もあるが、2008年以後の残骸発見と海底調査で船体に爆雷や砲撃による損傷がなく、自爆であることが確認された[26]。
- ^ 真珠湾攻撃に投入された甲標的5隻は全機未帰還となり、酒巻和男少尉だけが捕虜となった[27]。
- ^ 南東方面を担当する日本海軍(第十一航空艦隊、第八艦隊)は[37]、ムンダとヴィラ・スタンモーアに飛行場を造成中だった[38]。
- ^ 発射魚雷数:長月6、新月4、夕凪4本[47]。
- ^ 外南洋部隊増援部隊の指揮官は第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将で、この出撃では軽巡「夕張」から駆逐艦「新月」に旗艦を変更していた[50]。
- ^ 「新月」沈没により第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将ふくめ三水戦司令部全滅、他に座礁した駆逐艦「長月」が空襲をうけて放棄された[51]。
- ^ この時の外南洋部隊増援部隊および警戒隊の指揮官は、第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将(旗艦「神通」)であった[55]。他に第22駆逐隊司令が指揮する駆逐艦4隻が輸送任務を担当した[56]。
- ^ 英文版。春日隊の戦力は爆装零戦3機と彗星2機。八紘隊は一式戦闘機10機[61]。直掩機は含まず。
- ^ 姉妹艦「フィラデルフィア (USS Philadelphia, CL-41) 」もブラジルに譲渡され、軽巡「バローゾ (Barroso, C-11) 」と改名されて再就役した[63]。
出典
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- ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 99(セント・ルイス St.Louis CL-49)
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- ^ 軽巡二十五隻 2014, p. 308▽コロンバンガラ島沖夜戦
- ^ a b 戦史叢書96 1976, p. 247.
- ^ ウォーナー『ドキュメント神風 下』300ページ
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II
- ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 145〔戦利・貸供与艦〕ブラジル/軽巡洋艦「ブルックリン」級 BROOKLYN CLASS
- 1 セントルイス (軽巡洋艦)とは
- 2 セントルイス (軽巡洋艦)の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
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