スト権容認論からスト突入へ
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「スト権スト」の記事における「スト権容認論からスト突入へ」の解説
1974年(昭和49年)12月に内閣総理大臣に就任した三木武夫は「対話と協調」を掲げ、労働側とも対話する姿勢を示した。1975年(昭和50年)の春闘において、国鉄総裁の藤井松太郎は、「組合側の良識ある行動に期待」する形で前年度闘争の処分を「当分留保する」と発表。こうした状況を受け、三木は官房長官の井出一太郎に「ストと処分の悪循環を断ち切りたい」と述べたという。5月31日、国鉄当局は留保していた前年以降の争議関係者の処分を発表。国労と国鉄動力車労働組合(動労)は順法闘争に入り、公労協も処分撤回とスト権確保を掲げてストを予定した。これに対して井出官房長官はスト権についての政府の意向を国会の社会労働委員会で明らかにすると発表、6月3日の国会で長谷川峻労働大臣は、スト権付与を求める社会党の田辺誠の質問に答える形で「ストと処分の悪循環を断ち切る方向で努力したい。公務員制度審議会答申に沿って関係閣僚協議会で慎重に対処していきたい」「近く専門委員懇談会が開かれるので、その席で労使双方に腹蔵なく意見を述べてもらいたい」と答弁した。実はこの質問と答弁は、前日に政府と社会党・公労協各組合の間で調整を図って決められていたものであった。答弁は「スト権問題に前向きに取り組む」というものであったが、労組側は政府側が自らの姿勢に賛同を示したものと受け取った。この時期、政府は労働基本権についての意識調査を実施している しかし、専門委員懇談会の委員の多くはスト権付与に慎重もしくは反対とみられていた。上記の意識調査で、国鉄にスト権を付与することに反対する意見が55 %(賛成22 %、不明23 %)、スト権を与えた場合の労使関係について「激しくなる」が35 %、「変わらない」が23 %(「安定する」8 %)という結果が示されたこともそうした意見を後押しした。一方三木は「明らかに条件付き付与であった」と委員の一人で三木のブレーンでもあった加藤寛は証言している。その間で閣僚協議会事務局長の川島は対応に苦慮した。川島自身はこの問題は労働問題ではなく政治問題と見ており、スト権付与には批判的だった。川島は同じく付与に否定的だった自民党副総裁の椎名悦三郎の意も受けて、懇談会の答申を「経営形態の議論なしにスト権の付与を認めるべきではない」とする方向への誘導を図る。「条件付き付与」に賛成していた加藤寛はこの過程で「付与よりも経営形態の議論が必要」という意見に転じた。10月に経済学者の小宮隆太郎が『週刊東洋経済』に発表した論文「公共部門のストライキ」もそれを後押しした。加藤は「スト権を認めないと大変なことになる」と口にした三木に、「それは無理です。今や労働組合は、国家転覆すら考えているのではないかと思われる行動をしているのです。このような行動を認めると、日本はこれから再建することができなくなります」と述べたという。 一方、公労協では「山場」とした秋に向けて闘争戦術が練られていった。9月には回答期限を11月末として12月から大規模ストを構えるというスケジュールが決定し、発表される。 こうした情勢の中、国鉄の井上邦之副総裁は10月9日の専門委員懇談会において「スト権を与えないなら有効な抑制措置、与えるなら行使に当たっての規制措置が必要で、国鉄が労働条件の問題を自主的・弾力的に解決できる能力を持つことが不可欠」と述べた。これは自民党からの圧力の中で、総裁の進退にもつながるスト権への明言を避ける一方、現状の改革の必要性を訴えるぎりぎりの発言だった。しかし、この発言に組合側は反発し、総評側の懇談会委員であった岩井章は委員を辞任してストへの構えを見せ、各地の現場でも管理職を突き上げる事態になった。国鉄の労務当局はすでに「労使関係正常化のために条件付き付与」の意向を固めており、これらも踏まえて藤井総裁は10月21日の衆議院予算委員会において、条件つきでスト権付与を認める考えを明らかにした。日本専売公社や日本電信電話公社の総裁もこれに同調した。
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