スト敗北へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:26 UTC 版)
スト突入前に倉石は、付与論と反対論が交錯する自民党内の公労法問題調査会で、「労働基本権は尊重するが、スト権問題については今後二年間党・政府で検討する」という見解での収拾を図ろうとしていた。だが、スト突入後に自民党内では強硬論が支配的となり、倉石の見解で決着することはほぼ不可能となっていた。自民党内に強い影響力を持っていた副総裁の椎名は「今スト権を容認するわけにはいかない」という線から踏み出すことはなかった。自民党では「専門委員懇談会意見書の尊重」を基軸に、中曽根康弘が党としての見解をまとめた。 三木はある程度労働側の要望も入れた形での収拾の可能性も探り、12月1日午前には政府声明に「労働基本権の尊重」を入れる意向を椎名に述べたが、椎名はこれに難色を示したという。午後、自民党総務会では中曽根のまとめた案をもとに党見解を決定、これを受けて政府は臨時閣議で政府声明を了承した。12月1日夕方、三木は自民党内の意向に沿う形で「ストに屈しない」との声明を発表した。記者からの「スト権を与えるのか、方向を示してほしい」という質問には「国会で議決するものに、今色よい返事をすることができない」と三木は述べた。 山岸によればこの政府声明の内容を公労協側も事前に承知しており、国労はこれを機会にストを終了したかったと言うが、山岸は公労協に世論を無視した闘争の「授業料」を払わせようと考えており、スト続行の決議を宣言して宥和策を断ち切った。ただし12月2日未明保坂尚郎全逓書記長とは「上尾事件の再来はまずい」と考え、相談を行っている。2日に代議士の田辺誠も交えて打ち合わせた際には全逓・国労はスト収拾に完全に積極的になっていたが、中曽根が「2日中止説」を流しているのを知った山岸は「公労協から自民党に内通している者がいる」と再び強硬方針を採り、4日午前零時の中止を決定した。当時赤字の国鉄の賃上げが続いていた一方で黒字の電電公社は賃上げが少なく、山岸自身が国鉄の組合の姿勢に矛盾を見出していたという事情もあった。 これによりほぼ大勢は決し、公労協は12月3日に正式にスト中止を決定した。
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