スト決行の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 14:34 UTC 版)
「1994年から1995年のMLBストライキ」の記事における「スト決行の影響」の解説
モントリオール・エクスポズは74勝40敗の球団史上最も高い勝率を記録してナショナルリーグ東地区を2位に6.0ゲーム差の首位で独走していたものの、シーズン公式戦の残り試合とポストシーズンの試合の中止が決定してその夢を絶たれた。その結果、同チームのワールドシリーズ初出場は本拠地をワシントンD.C.に移転して、チーム名がナショナルズとなってからの2019年になってからであった。これは、1969年のチーム創立から51年目の事である。ニューヨーク・ヤンキースも70勝43敗を記録してアメリカンリーグ東地区を2位に6.5ゲーム差の首位で独走しており、1981年を最後に一度も出場していなかったワールドシリーズへの進出を狙っていた。 シカゴ・ホワイトソックスのフランク・トーマスはストに突入するまでに113試合出場で打率.308・40本塁打の成績を残し、前年に続いて2年連続でアメリカンリーグのMVPを受賞した(アリーグでは1960年・1961年のロジャー・マリス以来33年ぶり)。ヒューストン・アストロズのジェフ・バグウェルはストに突入する2日前に左手に死球を受けて骨折したが、離脱するまでに110試合出場で打率.368・39本塁打・116打点の好成績を収めており、ナショナルリーグのMVPを満票で獲得した(MLB史上4人目の快挙)。サンディエゴ・パドレスのトニー・グウィンは打率.394を残し、1941年のテッド・ウィリアムズ以来となる4割打者を狙える位置にいた。また、ジャイアンツのマット・ウィリアムズはストで残り47試合の中止が決定した時点で43本塁打を記録しており、ロジャー・マリスの持つシーズン61本塁打にほぼ一致するペースで本塁打を量産していた。 シンシナティ・レッズのケビン・ミッチェル(95試合出場で打率.326・本塁打30・OPS1.110)、ミネソタ・ツインズのシェーン・マック(81試合出場で打率.333・本塁打15・OPS.957)、ホワイトソックスのフリオ・フランコ(112試合出場で打率.319・本塁打20・OPS.916)とダリン・ジャクソン(104試合出場で打率.312・本塁打10・OPS.817)は1994年に3割を超える打率を残したが、翌1995年シーズンにこの4人は日本プロ野球でプレーすることを決めた。 NBAのスター、マイケル・ジョーダンは1994年3月にホワイトソックスとマイナー契約を結び、傘下AA級バーミングハムでプレーして世間を驚かせた。1994年は127試合出場で、打率.202・3本塁打ながら30盗塁を記録した。ホワイトソックスは状況を打開するため、傘下マイナーリーグ所属選手に対し、代替選手としてスプリングトレーニングに出場するよう求め、従わない場合は施設の利用を拒否した。球団上層部はジョーダンにはこの処置を適用しないと約束していたが、約束は反故にされた。選手会側と経営者側の板挟みに悩み、1995年3月2日に監督にも何も告げずにホワイトソックスのキャンプ地を去り、3月18日にNBAのシカゴ・ブルズへの復帰が発表された。
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